私たちは沖縄のことを、どれくらい知っているだろうか?~「沖縄 うりずんの雨」

今日、ドキュメンタリー映画「沖縄 うりずんの雨」見てきました。
軽率に感想などかけませんが、観終わって、身体の奥からこみ上げてくるものがありました。
それは、悲しみでも、怒りでもない、いまの自分には表現する言葉が見つけられない涙です。

見ている間中、スクリーンとは別の映像が、私の中でダブるように駆け巡っていました。
10・10空襲で亡くなった祖父のこと、日本兵の自決に巻き込まれて戦病死した叔母のこと、昨年90歳で亡くなるまで70年間、全身に何百という手りゅう弾の破片を抱えたまま生きてきた母のこと、辛い戦争体験を聞かせてくださったたくさんの人たちのこと。

そして、いくつもの画像と同じ場面に身を置いてきた自らの過去と現在が、幾重にも交錯しながら去来したのです。

うりずんの雨

このドキュメンタリー映画は『「老人と海」で与那国島の荒々しくも美しい自然と風土をとらえ、「映画日本国憲法」で平和憲法の意義を訴えた、 ジャン・ユンカーマン監督(米国)が、真の平和を求め、不屈の闘いを続けている沖縄の人々の尊厳を描いた渾身のドキュメンタリー(映画チラシより)』です。

<監督のことば>
想像もつかないほどの戦争体験をした沖縄の人々は、一貫して戦争を拒絶してきました。しかし米軍は沖縄を「戦利品」として扱い、膨大な基地を建設。それらを拠点として朝鮮、ベトナム、中東で戦争を続けてきました。平和を求める沖縄の文化と、戦争を選ぶアメリカの文化――。対極にある二つの文化が狭い島に共存せざるを得なくなったのです。

米軍基地を撤去するための闘いは、今後も長く続くでしょう。沖縄の人々はけっしてあきらめないでしょう。
しかし、沖縄を「戦利品」としての運命から解放する責任を負っているのは沖縄の人々ではありません。それは、アメリカの市民、そして日本の市民です。その責任をどう背負っていくのか、問われているのは私たちなのです。

~うりずんの雨は 
       血の雨 涙雨
            礎の魂 呼び起こす雨~

「うりずん」とは:恵みの雨で野山や田畑がうるおい始め、草木が芽吹く3月から5月の季節を表す沖縄のことば。本来なら一年中で一番清々しい季節のはずが、沖縄の地上戦が丁度うりずんの季節に重なることから、戦後70年経った今でも、この時期になると当時の記憶がよみがえり、体調を崩す人たちがいる。

2015年7月14日リンクURL