今年はリセットの年?    

  亥年生まれの私、生まれ年の今年はいろいろとあるだろうと予感はしていましたが、ど うやら大リセットの年のようです。

 平成が終わり、令和の始まりとなった世替わりは、個人的には何も関係はないものの、すべての出来事はつながっていると言われているので、無関心ではいられません。そして、今回の首里城の焼失は、終わりではなく、何かのスタートではないかと感じています。

 個人的なことに話を戻しますと、10月から12月にかけて3つの引っ越しをすることになりました。
 10月には40数年通った琉球舞踊の稽古場が移転。今月の下旬には30年以上住んだ自宅マンション、12月中旬は、30年近く女性問題や平和運動の活動の拠点としてきた事務所が移転することを余儀なくされました。いまそれらの片付けに忙殺されています。

 10年前の定年のときに職場から持ち帰った仕事関係の資料の数々が、まだ段ボール箱に詰め込まれたまま自宅に積まれているものもかなりあって、これらを思い切って断捨離する潮時なのだろうと思っています。

 奇しくも、転居する自宅の部屋番号が「111」号室、ははじまり・スタートを意味する数字。40年近くこの身にくっつけてきた余分なものをそぎ落してリセット、すっきりと再スタートしたいと願っています。

※  辺野古の行動もしばらく毎週行くことは無理だったり、ブログの更新も滞るかと思います。また、遠方の友人たちにはブログの更新が安否確認にもなっていますが、元気ですので、どうぞご心配なきよう!

※  写真は、先日、名護市大浦の集落で出会ったシーサーたちです。(記事の内容とは関係ありません)家々の塀や石垣に飾られていました。「集落の子どもたちの手作りかなぁ」と思いましたが、確認することができませんでした。

2019年11月4日リンクURL

県民はあきらめない!首里城も辺野古も ~ 辺野古集中行動日に1000人

 今日は毎月第一土曜日の集中行動日。このところ減りがちだった参加者が、今日は目標の1000人に戻った。

 久しぶりに辺野古で顔を合わせる私の友人も3~4人いた。その一人は「首里城のことがあったから、やっぱり辺野古頑張らなければ、と思って」と言った。あきらめ感が広がるかと思ったが、逆だった。首里城への思いを、辺野古に来る人たちと共有したかったのだろうか。

 集会で発言する人たちもみんな首里城の火災を話題にした。みんなに共通した言葉が「県民はあきらめない!首里城も辺野古も!  県民が心を一つにして頑張ろう!」

 ヘリ基地反対協の安次富浩さんは、「最低でも2兆5千5百億円と言われる辺野古新基地建設の費用を、首里城の復元に使えばすぐに再建できるではないか。そして、各地で自然災害で苦しむ人たちの復興に使えば、多くの国民が救われる」と、国民より米軍基地に血税を費やす国の愚に怒った。

 

 

 今日は令和の山本太郎さんが参加。「沖縄の魂の象徴である首里城の焼失に衝撃を受けている。県民、国民が力を合わせて首里城の再建も辺野古阻止も勝ち取ろう。

 それにはまず全野党がかたまりになって、政権をとる必要がある。かたまりになるだけではだめで、投票に行かない50%の国民に政治が自分の暮らしに直結している、自分事として実感してもらわなければならない。そのために具体的な提案をしたい。それは消費税を5%にすることを野党が一塊になって掲げ、政権をとる。そして辺野古を止めよう!」と。

 

 集会が始まる前に一緒に工事用ゲートに座り込んだ札幌の大学生5人が、名護市議の大城敬人さんから20数年にわたる辺野古の闘いについてレクチャーを受けていた。

 

 

やっと最高気温が30度を切るようになり、日中クーラーをかけなくても過ごせるようになった。辺野古テント前の花壇も花々が気持ちよさそうに風に揺れている。

やんばるの山では自生の芙蓉の花が満開だ。

 

2019年11月2日リンクURL

首里城炎上 ~ 復元不可能な貴重な展示品も焼失

 あまりの出来事に言葉も出ない。この三次元世界の苦しみは、それを克服することで、魂が何かを学ぶために起こるという。受難うち続く沖縄、この受難から何を学べというのだろうか。

  沖縄戦で焼失したあと、20数年かけてここまで復元した首里城だった。新たな復元は30年以上かかるという。

 しかし、建物は再建・復元できても、復元できないものもある。

 

 

<11月2日 琉球新報>

「泥棒は、担げるだけしかもっていかないが、火事はすべてごっそり持っていく」と、祖母が口を酸っぱく言っていた言葉を、実感を持って思い出す。

 

2019年11月1日リンクURL