座り込みを続ける私たちの姿は神々しいでしょう! ~ 2月19日の辺野古

 いつもの水曜日、2~3日暖かい日があってほっとしたが、前日(18日)からまた寒さがぶり返した。行きつ戻りつして春はやってくるようだ。

 幸いお天気は良さそう。沖縄自動車道に乗る頃には東の空にお日様も顔を出した。

 メインゲート前のテントに着くと、木々の向こうににょきっとサンドコンパクション工事船の三本柱が二つも顔を出している。こんなに近くに見えるとは!さすがに度肝をぬがれた。


 徒歩で20分ほどの工事用ゲートまで歩きながら、金網の隙間から大浦湾を覗く。工事船は、稼働はしていない。全部で5隻いるそうだ。稼働はしていなくても経費は支払われる。しかも工事船の大浦湾の深さに合わせるための改造費も国が支払っている。

 本日一回目、寒いこともあって朝は参加者少なめ。20人余で座り込んだ。

水曜日の現場リーダー・高里鈴代さんの第一声「寒さにも負けず、こうして何年も座り込みを続ける私たちの姿は神々しいでしょう!」(賛同の声と拍手)

 ヘリ基地反対協の安次富さん。「前日から体調が悪く、今朝は怠けようかと思ったが、皆さんの顔がチラついて寝ていられず、気合を入れて起きだして来た。 

 国会は税金の在り方をめぐって各政党がわが党を主張してせめぎ合っているが、そんなもの軍事費を削ればすべて解決する。辺野古の新基地建設はその一つ。なぜ軍事費・思いやり予算は問題にならないのか?」

まさにおっしゃる通り。辺野古関連の警備費だけで、一日2000万円なんて馬鹿げている。県警の分も入れるとさらに膨れ上がる。ワシントン事務所の予算で県議会がもめているが、これも解決する。 座り込む市民20人に対し、民間警備員40名に県警十数人、何という構図だろうか! 

 

 

 

 

 

 1回目の座り込みの後やって来たのはいとまん島ぐるみの皆さん。毎週火曜日、地域でのスタンデイングは今週で421回を数えたという。お得意の三味線と歌で場を盛り上げた。 

 京都からはキリスト教会関係のグループ10名。

 那覇から2台目のバスも到着して、正午前2回目は総勢40名余が座り込んだ。

 

 

 

 

                「「ワタチも頑張るワン!」     でも、機動隊のおじさんたちはちょっと怖かった!」

今日も違法車両が、市民らの指摘を無視して、何台も入り続けた。

     少し減ったが、3回目も30名余で座り込んだ。

 目隠しのためにシートが張られた基地のフェンスに、グンバイヒルガオがまるで誰かが活けたかのように咲いていた。そこがどこであっても一生懸命生きる花(イノチ)は美しい。


 

 

 

不屈の座り込み3881日目の辺野古から。

 

2025年2月20日リンクURL

16日祭の渡嘉敷島➁ 

 今朝(16日)の琉球新報、渡嘉敷島の16日祭の記事が、通信員のレポートとして掲載されている。偶然にも記事の写真が我が家のお墓であった。家族一同ビックリ。

 

 記事にもあるように、渡嘉敷村のお墓はこれまで「模合墓」が一般的。沖縄では門中墓がよく知られているが、門中墓が男系の親族(一門)を祀るのに対し、模合墓は、そのときどきにお墓の必要な家族が何軒か集まり、一つの墓を共用するすくみになっている。(呼びかけ発起人を墓主とする)

 我が家の墓も祖祖父の時代(明治の終わりごろと思われる)に、分家した祖祖父がこの模合墓に加わってる。

 門中墓は、墓前で門中が勢ぞろいして清明祭を盛大に行うが、渡嘉敷島には中国由来の清明祭はない。そして、お墓参りも一年のうち16日祭だけである。それ以外の先祖供養は、全て仏壇を通して行う。

 残念ながら、こうした日常の祭祀にあまり関心をむけてこなかったので、両親や祖母に話を聞く機会を逸してしまい、詳しいことはわからない。代々命を繋いできたご先祖がいたからこそ、今の自分がいることを思えば、先祖供養を大事にしてきた沖縄の先人たちの「想い」は受け継いでいかねばと、自らが終活の年齢になり、遅まきながら気づき反省しているこの頃である。

 

 

2025年2月16日リンクURL

16日祭の渡嘉敷島

 昨日2月13日は、旧暦の1月16日で、グソー(後生・あの世)のお正月。先祖代々のお墓のある渡嘉敷島へ行ってきました。 

  渡嘉敷島の港に着くと、桟橋のすぐそばの波打ち際でシラサギに遭遇。

 かつては、波打ち際は海鳥たちのエサになるエビや貝、カニなどがいくらでも生息していた。いまはセメントで塗り固められてしまい、エサになりそうな生き物は全く見当たらない。せめて、一時の羽休めにはなっただろうか?

 カメラをむけると優雅に翼を広げ、舞うように飛び立っていった。

2025年2月14日リンクURL