圧倒的な物量に勝る米軍を「象」に例えると、竹ヤリ状態で米軍に立ち向かう北ベトナム軍はさしずめ「アリ」、というのがベトナム戦争の構図である。軍事力の優劣は明らかで、米軍も「この戦争はすぐに決着がつく」と思っていた。
しかし、戦いは泥沼化して長期にわたり、そして、「アリ」は「象」に勝ったのである。
その大きな要因の一つが、地下につくられたれたトンネルの存在だった。
ホーチミン市から北西におよそ70キロ。クチ(古芝)と呼ばれる地区の地下には、総延長250キロメートルにも及ぶ地下トンネルが、網の目のように張り巡らされている。それも3層になっていて、入り口は「ホントに人間が入れるのか」と思うほど狭いが、奥には病院も市場も、芝居も映画もあったという。
ベトナムの兵士は本当にアリになったのである。
この辺りはベトナム戦争の時代「鉄の三角地帯」と呼ばれた解放戦線の拠点だった。米軍はB52で爆撃し、枯葉剤を撒いて村々を焼き払ったが、解放戦線の兵士は地下に潜って活動した。
兵士は、昼は戦い、夜は食料をつくるために耕した。どこからともなく現れて、どこかへ消えていく彼らを、米軍は「ベトコンはどこにも見えないが、どこにでもいる」と表現している。
そのクチの地下トンネルが、ベトナム戦争の遺跡として、国民の平和学習と、外国人向けの観光施設となって一部開放され、見学できるようになっている。
ベトコン(米軍が使ったベトナム兵士の蔑称)を見つけて追っかけて行くと落とし穴に転落し、穴の底には写真のような仕掛けがあり、落ちた米兵は串刺しになったまま数日間苦しみつづけ、やがて死んでいくという手作りの武器である。
ベトナム戦争で、米軍はあらん限りの残虐行為をベトナムの人たちに行っている。それに対抗するためには、こんな仕掛けも必要だったのだろう。が、鉄の針山に突き刺されたまま何日も苦しみもだえ、やがて死んでいく人間を想像して、私は、冷たい汗をかいて身震いした。他にも拷問のための道具がいくつも展示されていた。
戦場では、殺さなければ殺される。相手が残虐であればあるほど、抗する側もさらに残虐にならざるを得ない。戦争は、一旦始まってしまえば、始めたに方にも仕掛けられた側にも、どっちにも正義はない、と私は改めて思った。