「高江」テント前で 千人集会~やんばるの森・住民の暮らしを守れ!

東村高江の集落を取り囲むように、新たにつくられるヘリパットの建設に反対する住民や市民たちが、5日午後6時から、N1地区裏で抗議集会を開いた。

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N1地区と呼ばれるヘリパット建設予定地へ通じる表側(県道沿い)の抗議活動のテントは、去る22日、すでに機動隊と防衛局によって撤去され、その反対側にから建設予定地に通じる通称N1裏は、工事を阻止するため最後の砦ともいえるこの場所に県内外から1000人余が駆け付けた。

那覇から車で3時間、辺野古からでも1時間以上はかかるここ高江は、数年前まで陸の孤島と呼ばれた交通不便な場所。しかもN1裏は、県道から外れてさらに山の中に入ってくる。かなり強い想いと、健康でなければ来れない。にもかかわらず、大勢の参加者に、集会を取り仕切る山城博治さんも思わず目を潤ませる場面も。P1030722

住民の会の宜保さんが、「10年近く、建設反対の活動のために 畑に行くのもままならず、草ぼうぼうになっている」と訴えれば、

大阪から参加したシールズメンバーの若者が「ここに集まった1000人のみんなさんが、毎日交代で畑を手伝いに行こう」と受けて拍手喝さい、緊迫した中にも、絆を感じさせる和やかさが漂う。

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東京から社民党の福島みずほ参議院議員も駆け付けた。

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悪天候の中、6日朝の機動隊による強制撤去を警戒して、集会後も300人近くが、テントや車の中で夜を明かした。

P1030725      <テントで夜を明かした人たち。これで半分、あと半分はカメラの後ろにいる>

P1030721                      <午前6時のN1テント>

帰宅した人たちも、今朝4時ごろから集まり始め、早朝6時には500人近くが結集したが、土曜日だからか、抗議行動参加者の多さにおどろいたか、機動隊は姿を見せなかった。

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6日は広島原爆の日。8時15分には参加者みんなで黙とうを捧げ、改めて平和を誓った。機動隊の動きがないことを確認して、今日は来ないと判断。待機は一応午前10時過ぎに中休みに入った。

週明け月曜日が、次の攻防のヤマバと想定される。日曜日夕方6時からの集会に、改めて参加を呼び掛けている。

それにしても、夏休みだからかもしれないが、若い人たちの参加がとても多い(半数以上だったかも)ことに大きな希望を感じた。

彼らに自然豊かな沖縄を引き継ぐのが私たち大人の使命。生物多様性豊かな山原の森を壊させてはならない。

カシノキラン 絵

<カシノキラン~参加者のひとりが描いた自作の絵ハガキから>

 

2016年8月6日リンクURL

今日(8月5日)の辺野古~4つの基地関連抗議集会

5日(金)は、辺野古を含めて4か所で、基地に関する集会があり、辺野古ゲート前は、小人数でのスタートだった。

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P1030696 何度も何度も機動隊に押し返されながら、それでも元気に基地から出てくる米軍車両を止め続けた。

福岡からやってきた若い女性が、「これから高江に向かうが、辺野古にもエールを送りたい」と、手づくりのバーナーを託していった。

P1030667 土砂降りの大雨に見舞われたので、午前中後半はテントの下での集会に。全国の歴史教育に携わる教師たちのグループ(歴史教育者協議会)200人が、二組に分かれてやってきて、テントの中は一気ににぎやかに。

P1030699教科書さえも嘘がまかり通る安倍政権。教育現場を担う教師たちが、しっかりその目で沖縄の姿を見て、感じて、歴史を正しく見つめ、教えてほしい。次代を背負う子どもたちが、日本の将来を見誤らないためにも。

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毎週金曜日、4月から始まった嘉手納基地第一ゲート前での抗議行動が、3週間前から嘉手納の基地の全ゲートに広がり、午前7時から8時半までの間、嘉手納基地の5つあるゲートうち、現在使用されていない第四ゲートを除く、全ゲートを封鎖する抗議行動が展開されている。

また今日5日は、国が沖縄県を訴えた裁判の第一回公判があり、翁長知事が意見陳述を行うため、午後1時から、地裁前で激励の事前集会が行われることになっている。

さらに、先月22日に圧倒的な警察権力を行使して、工事を再開した高江の、オスプレイ用ヘリパット建設反対行動の現場では、N1裏に住民が設置している監視・抗議テントに対し、防衛局が5日を期限に撤去を求めているため、午後6時から千人規模の抗議集会、その後泊まり込んで6日朝の機動隊導入への抗議行動を呼び掛けている。

その集会に参加するため、 午後3時には辺野古を切り上げて、高江に向かった。集会後はやんばるの森の中で、野宿の予定である。

今日は一日に4つもの基地関連の抗議集会があった。国家の沖縄に対する強権的な弾圧のすさまじさは軌道を逸している。狂気としか言いようがない。

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今日(7月29日)の辺野古~夏休み 子ども連れでゲート前

いつもの金曜日より、参加者がちょっと多めの754日目の辺野古ゲート前。
なぜか今日は、基地から出てゆく演習車両もほとんどなく、機動隊もクーラー付の快適な装甲車から、出てくることはなかった。P1030657

それでも市民たちは、ゲート出口に座り込んで抗議の封鎖。
民間車両は通れるよう十分に通路を開けてあるにも関わらず、軍警がときどき嫌がらせで、立ち退きを迫る。
しかし、抗議の市民たちは一歩も譲らなかった。

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炎天下の座り込み、直射日光と、アスファルト道路からの照り返しで、持っているペットボトルの冷たい水が、30分でお湯状なる。
朝9時から1時間半座り込んでいたら、Tシャツが絞れるくらいの汗で濡れた。

昼前にテントの下に移動。参加者の発言をみんなで、シェアする。
夏休みとあって、親子連れが何組かあった。

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妻の実家が沖縄というこの男性。「今は小さくて何も理解できないかもしれないが、子どもたちに辺野古で抵抗する人々の姿を見せたかった」と埼玉から来た。案内役は沖縄のジィジ。孫と娘婿を誇らしげに紹介した。

市民からカンパを集め、リレー形式で東京から辺野古へ人を送り出す活動を続けている「辺野古リレー」の支援で、現在3人が辺野古に滞在中。その一人・この女性も埼玉から子連れで参加した。

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「テレビや新聞報道を見て、十分知っているつもりだったが、実際に辺野古に来てみて、沖縄の皆さんの真剣さ、大変さ、痛みが、想像していたのとは段違いだった。(辺野古はいま比較的穏やかだが、この方はこの数日、まるで無法地帯のような高江での、権力(機動隊の)凶暴な県民弾圧をの姿、抵抗する市民との激しい攻防を体験してきた)

それに比べると、私たちが東京でやっている安保法反対の活動など、ほんとにちっぽけなものと思い知った。私たちが国会をとりかこむのは非日常のわずかな時間。沖縄の皆さんは、毎日の暮らしの中でいつ終わるかもわからない闘いを続けている」と、声を詰まらせ、目を真っ赤にして語り、「この実情を自分の地元に持ち帰って広めたい」と締めくくった。P1030658今日はこの垂れ幕の言葉が一層身にしみた辺野古ゲート前でした。

 

※ <お断り> 写真は、意図して後姿や顔が隠れたり、逆光でよく見えなかったりしているものを使っています。私の写真の腕が悪いわけではありません。それは、権力の側に悪用されないためです。著名人・公人以外は、名前も出すのを控えています。ご了解ください。

2016年7月29日リンクURL