1/26「県民集会キックオフ集会」那覇(県民広場より)貸し切りバス4台が運航されます。お気軽にご利用ください。
①8:00発(50人乗り大型バス1台)→平和市民連絡会
②9:00発( ” 1台)→那覇島ぐるみ会議
③9:00発( ” 2台)→県民投票連絡会
注)8:00発のバスは申し込みが必要です。申し込みは城間(080-1782- 6598)へ。
9:00発のバスは申し込みは必要ありませんが、当日8:30受付開始で、先着順150名(50×3台)が定員となっています。
今月から毎週水曜日は、法を犯して辺野古埋め立ての土砂搬出港になってしまった琉球セメント安和桟橋への集中行動日となっている。
6:30に那覇を出発するときは、満月の名残をたたえた大きなお月様が、西の空でほほ笑んでいた。
8:00安和に到着すると、土砂の搬入はすでにはじまっていた。
トラックが桟橋まで運んできた赤土は、沖合の土砂運搬船(台船)までベルトコンベアーでスルスルと積み込まれる。
安和では、辺野古のようにゲートに座り込むのではなく、山城博治さんの指揮のもと、機動隊に介入の口実を与えないために、ゲート前の歩道をひたすらゆっくり行ったり来たり歩き続けることで、土砂を積んだトラックの侵入を遅らせるという順法戦術がとられている。
土砂を積んだダンプは、港の前を通る国道を南下してくる。この道路には港に入るための右折信号がなく、青信号で直進車両が途切れた時だけしか土砂を積んだトラックは港に.入ることができない。
しかも、歩行者である私たちが青信号に従って直進車両と同時にゆっくりとゲート前を横切っているので、ますます右折しにくくなる。結局、横断している私たちを、機動隊が押しのけるようにして、トラックを通すのだが、一回の信号で右折できるのはせいぜい1台か2台。通常の半分以下になるのだという。
しびれを切らしたダンプが、ときどき赤信号を強引に右折して突っ込んでくる。
ただ、抗議する私たちも、ゆっくりとはいえ長時間歩き続けることは、なかなかしんどい。休息は1時間に一回5分だけ。夕方までには数時間歩き続けることになる。
しかし、寒い中海の上で海保と対峙して身体を張っているカヌーチームのことを思えば、この程度は何でもない。今日も十数隻のカヌーメンバーと抗議船が、土砂運搬船の出港を引き留めて頑張っていた。
横断歩道をゆっくりと渡るのも抵抗戦術の一つ。今日は風は冷たかったが、お天気がよかったので、とても快適なウォーキング日和だった。
沖縄防衛局は「岩ズリ」と言い張っているが、トラックが運んでいるのは、どう見ても赤土である。
サンゴが、ウミガメが、ジュゴンが泣いている。
この隣には「琉球セメントさん、県民を裏切らないでください」と書いた大きな横断幕が掲げられていた。
国が、埋め立てて米軍飛行場をつくるはずの大浦湾に、とてつもない軟弱地盤が存在することを、ついに認めた。
沖縄県は、これまで何度も軟弱地盤の存在を指摘して、国に問いただしてきたが、「調査中」としてひた隠しにしてきた。それがついに「軟弱地盤」の存在を認め、設計概要の変更を、沖縄県に提出する方針でであることを明らかにした。沖縄県は「変更」を認めないとしている。
国は、2014年にはすでに軟弱地盤の存在がわかっていたにも関わらず、ここまで隠し通してきたのは、この間に衆参の国政選挙、名護市長選、県知事選など、重要な選挙が相次いであり、辺野古埋め立て手続きに多くの許可権限を持つ、名護市長や県知事を政権側に奪還して後に、という思惑があったからに他ならない。
名護市長選はうまくいったものの、国政選挙、翁長知事、玉城知事と続いて「辺野古NO」の民意の壁を突き破れず、苦肉の策として、数々の違法を重ねて、とりあえず工事の進めやすい浅瀬部分に土砂を投入し、「埋め立てが始まった」という既成事実をつくったうえでの発表となったものと思われる。
土木の専門家は、大浦湾の軟弱地盤改良工事は、国内有数の大規模で技術的にも難易度の極めて高い工事となり、膨大な費用と長い工期(5年以上)が必要、としている。
辺野古新基地建設は、軟弱地盤のほかに、危険な活断層、周辺民間施設の高さ制限、滑走路が米軍の使用基準より短い、などいくつもの難題があり、市民側の専門家は、「今回国が軟弱地盤を認めざるをえなかったのは、工事がとん挫する助走に過ぎない」と、している。