70年目の慰霊祭~渡嘉敷島の「集団自決」 ①

渡嘉敷島の戦争犠牲者を祀る慰霊碑・白珠之塔で70年目の慰霊祭が執り行われた。

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DVC00314.JPGDVC00321.JPGハーブ 周子 153

 

 

 

 

この日の渡嘉敷島・阿波連

この日の渡嘉敷島・阿波連

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が愛する故郷渡嘉島。70年前、この美しい島で、なにが起こったのか!

<渡嘉敷村公式ホームページから>

物量に劣る日本軍の特攻部隊は、山の中に逃げこんだ。連日の空爆や、艦砲射撃でパニック状態におちいった住民は避難の場所を失い、島北端の北山(ニシヤマ)に追いつめられた。(※日本軍の命令でここに集められた

「米軍に捕まると、男は耳や鼻を削がれ目を疲れて殺される、女はレイプされ、股裂にきされて殺される」と信じ込まされ、3月28 日、日本軍から植え付けられた「捕虜になるのは非国民」という思い(※スパイ視され、処刑される日本軍への恐怖)から集団を組んで自決した。

手留弾(※前もって日本軍から配られていた)、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない者は、縄で親兄弟の首を絞めたり、首を吊ったり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていった。

「ありったけの地獄が出現した」と表現される沖縄戦。その地獄の一つが「集団自決」

ここで起こった悲惨な出来事は、戦争を知らない世代には想像すらできないであろう。しかし、実際に起こったことである。

白玉之塔には「集団自決」の犠牲者330名を含む戦没者594名が祀られている。当時の人口は1000人前後とみられていることから、実に村民の半数以上が戦争の犠牲になったということになる。私の祖父の名もここに刻まれている。

< ※は投稿者注>

 

 

 

 

 

 

2015年3月29日リンクURL