中学生の主張~今の私が沖縄のためにできる事

 我が友人の姪っ子さんが辺野古のことを作文に書き、神奈川県が主催する「2014年度中学生の主張」で優秀賞を受賞。母親と妹と共に辺野古を訪れたのを機会に、地元の新聞2社に取り上げられました。

中学生の主張 みさきさん

新聞に作文は掲載されていませんでしたが、友人に頼んで送ってもらいましたので紹介します。

優秀賞
今の私が沖縄のためにできる事
横浜共立学園中学校 3年 稲田 みさき

「辺野古の埋め立て、始まっちゃうみたい。」
まだベッドの中で半分寝ぼけながら、しつこく鳴り続く携帯電話に出た私の耳に、伯母の冷静な声が響いてきた。その途端、私の全身は一気に目覚め、そして凍りついた。

大学に勤める伯母が沖縄に関係した研究をしていたので、小さい頃から沖縄や戦争の話を聞いていた。大きくなると、伯母は私を沖縄に連れて行ってくれて、説明をしながら沖縄を案内してくれた。話で聞いたり、本や新聞で読んだりしていた沖縄は、実際に見てみると、思った以上に「基地の街」だった。少し歩くと、すぐに米軍のフェンスに当たり、1日中飛行機が空を飛んでいた。今まで私が暮らしていた場所とは空気が違っているような気がして、なんだか落ち着かない気持ちになった。

浜辺を分断するフェンス

砂浜を分断するフェンス

初めて辺野古の海に行った時、「新基地建設反対」という看板を見た。砂浜にはコンクリートとフェンスの壁があって、向こう側は米軍のものだと教えられた。どこまでも同じはずの砂浜が、どこまでも同じように透き通った真っ青な海が、固いコンクリートでスパっと分けられてしまい、向こう側は見えるのに入ることはできない。何かがおかしい。言葉にできずに黙って立っていたその時、壁の向こうを小さい戦車のような鉄の塊が何台も走ってきた。「装甲車」というのだと、隣にいた伯母が私の耳にささやいた。私の立っている砂浜のずっと向こうの同じ砂浜を、戦争に使う鉄の塊が走り抜けていく。その光景を眺めているうちに、だんだん胸が苦しくなって、心臓の鼓動がどんどん速くなっていくのを感じた。

沖縄の重い空気と一緒に帰ってきたはずなのに、私はいつの間にか日常に埋もれ、沖縄の空気を失ってしまった。私の周りに流れる空気は、学校・友達・部活・・・いつもの透明な空気になっていた。透明で心地良い、でもどこか空虚な毎日。そんな毎日が流れていたある日、私は伯母の言葉に体が凍りつくように動けなくなった。
「大好きだったあの辺野古の海が、もうこの地球上から永遠に消えてしまうかもしれない」キャサリン

私が恐れていた事が私の知らないうちに、それも突然始まってしまった。私は1日遅れで届く沖縄タイムスをむさぼるように読んだ。全国紙にもテレビのニュースにもめったに報道されない小さな沖縄。

日本の国土の0.7パーセントの面積しかない沖縄。その沖縄に在日米軍の実に74パーセントが集中している事実。それはまるで遠い外国の事のように、隔てられた空間のように、私の周りでは誰も気に留めてはいない。「理不尽」「不公平」、これらの言葉はこのような時に使われるべきなのだろう。どうして大人は分からないのだろう。辺野古を埋め立ててしまえば、もう元には戻せない。ジュゴンの自然は帰ってこない。辺野古を埋め立てても、普天間基地が閉鎖されるという確実な未来はない。沖縄の中で基地を転々とさせるなんて、住宅や小学校があんなに近い場所に基地を造るなんてどうかしている。

DVC00046.JPG炎天下で座り込みをしている、真っ黒に日焼けしたお年寄りたち。ずっと苦しい思いをしてきた経験者たちの声に、どうして耳を傾けないのだろう。本土の新聞やテレビは、もっと公平な報道をしてほしい。皆にもっともっと知ってほしい。まずは知る事から始めてほしい。そして、私は知らせる事から始めたいと思う。中学生の私でも、今私が生きるこの場所でできる事があるはずだ。

護岸の岩の隙間に咲くグンバイヒルガオ

護岸の岩の隙間に咲くグンバイヒルガオ

私は、私の日常の中に沖縄の風を吹かせよう。私は、私の生活の中で沖縄の空気を吸っていこう

2015年2月19日リンクURL