仲間の命を返せ! 高垣さんの急逝を悼む ~ 今日(12月2日)の辺野古

 今日の天気予報は午後から雨のはずが、早朝から小雨が降るなかを那覇出発、辺野古へ向かう。

 途中のバスの中、本部島ぐるみの代表として塩川の抗議鼓動を頑張っていた高垣さんの訃報が伝えられた。あまりに急なことですぐには信じられず、バスの中のみんなが言葉を失った。

 ほとんど毎日、早朝からときには夜まで、辺野古土砂の積出港・本部塩川港で監視と抗議行動を続けてこられた高垣さん。元々心臓に持病を抱えていらしたそうだが、国の新基地工事の強行に命を削られたと言っても過言ではない。

 今日の座り込みは、まず亡くなった高垣さんへの黙祷から始まった。そして、高垣さんが作詞した辺野古替え歌の一つ「心さわ ぐ山原の歌」をみんなで合唱した。高垣さんがこの歌を唄うときの、あの朗々とした歌声が聞こえてくるような気がして、こらえきれず、みんな涙を流しながら、何度も歌った。

 ♪ 我らの思いは それはただ一つ 麗しき沖縄(うちなぁ)非武の島よ

   *海や森 空も澄めば 我が心は山原の地に

 ♪ いかなる弾圧が 度重なるとも 我らが友情は 永遠に変わらず

  *(繰り返し)

 ♪ 誰でも一度は 恋をするものさ 嵐の中でも 恋は貫く

  *(繰り返し)

 

 

 山城博治さんもこの歌が大好きだ。文子さんと手を握りしめ合って涙をこらえ、高垣さんの歌を唄った。

 人々の悲しみにも容赦なく、機動隊の排除に助けられて、今日も工事車両の搬入が続く。無神経に「警告!移動せよ」と基地の中からハンドマイクでがなり立てる防衛局員に対して、悲しみが、何倍もの怒りになって噴き上げ、「人が亡くなった話をしているんだ。静かにしろ!」と、怒号が飛んだ。

 

 「海を返せ!」「ジュゴンを返せ!」「仲間の命を返せ!」

この辺野古の抗議行動の中で、いったい何人の方々が、無念の思いで亡くなられただろうか。

 辺野古ダムから新基地埋め立て予定地に流れ出ている美謝川の、河口切り替え工事のためのボーリング調査が、名護市との協議をしないまま、違法に開始されたとのことで、一回目の座り込みの後、第二ゲート近くの現場まで、みんなで抗議に行くことになった。

 このことは、長くなるので改めて別項目として報告する。

 テントに戻ると、いつもの差し入れ(紅芋のマッシュ、サーターアンダギー、沖縄風チジミ)と、温かいぜんざいが待っていた。

 今日は、風が強く海が荒れたため、塩川と安和桟橋の積出はなく、安和、塩川に行く予定の糸満島ぐるみなどのメンバーが辺野古へ合流したこともあって、2回目、3回目の座り込みは、70名近くに膨れ上がった。

 今日の抗議行動の締めくくりに山城博治さんは 防衛局の職員を睨みつけながら「高垣さんはこういう連中(国)に命を削られた。悔しい!悲しい!怒りを感じる!残された私たちは、高垣さんの思いを引き継ぎ、頑張りたい」。そして、空に向かって叫んだ。「高垣さん!なんでこんなに早く逝ってしまう。いくな!戻って来い!」

 

 高垣さんの葬儀は、コロナに関係なく「告別式はしない」という、生前からのご本人の希望で、ごく身近な人たちだけの友人葬で執り行われるとのことです。

<今後の日程>

12月3日(木)瀬底のご自宅に安置されています。

12月4日(金)午前9時半:ご自宅でお別れの儀式

       午前10時半:出棺

       午前11時 :本部葬祭場で友人葬

※ 金曜日、安和担当の平和市民連絡会のバスは、午前10時半の出棺に間に合わせて、お見送りをすることになっています。

2020年12月2日リンクURL