台風の余波で不安定な空模様の中辺野古へ向かう。途中、「安和桟橋や塩川港は波が高く、土砂の積み込み作業はなし、抗議行動は休み」との情報が入る。
いま沖縄の米軍関連の抗議行動は、普天間野嵩ゲート前、ヘリパッド建設の高江、辺野古埋め立て土砂の積出港の塩川と安和桟橋、そして辺野古ゲート前と、現場が5ヵ所にも分断されて、それでも少人数ながら、粘り強く人々の闘いが続いている。
午前9時の一回目は25人が座り込んだ。
去る10日に平和運動センターの議長を退任したばかりの山城博治さんの顔も見える。いつもは平和運動センターの担当日である火曜日の指揮を担っていたが、これからは一市民として辺野古へも来ることになる。
そもそも辺野古ゲート前の座り込みは7年前、博治さんが1人ではじめた。それは平和運動センター議長としての責務だけではない、人間まるごとぶっつけて権力の不条理に向き合う姿に惹かれて、多くの人たちの共感を生み、ここまで大きな県民運動へと広がってきた。
博治さんの行動の原点は、高校生のとき、同じ学校の女生徒が米兵にレイプされ大けがをするという事件が起き、当時生徒会長だった彼が、全校生徒をはじめ他校の生徒たちにも呼びかけて抗議の県民大会に参加したという出来事にある、と聞く。魂の奥からふつふつと滾るように湧き出す情熱に、いまだそのときの怒りが消えていないと感じる。
今日は、大きなグリ石を積んだダンプの列が続いた。大浦湾側で新たに始まった護岸工事に使われるとみられている。
休憩時間、テントの下で休んでいると一台のタクシーが目の前に停まった。運転台から降りてきたドライバーはトランクを開け、大量のペットボトル入りのお茶とドリンク剤を「飲んでください」と、名前も告げず、置いて行った。
ゲート前に直接座り込むだけが抗議行動ではない。こうした人々の、頂いた”物”ではなく、その”心”に支えられて、辺野古の闘いはある。
12時前、二回目の座り込み。
機動隊の指揮官・隊長との会話。(写真の人は隊長ではない)
隊長:「最後の警告です。道路に座り込む行為は道交法違反です。直ちに自ら立ち上がって舗道に移動してください」
市民:「もうちょっと、5分待って!」
隊長:「(優しく笑いながら)できません。直ちに移動してください」
私:「5分だけシーブン(おまけ)して!」
隊長:苦笑い。
私:「シーブンって、わかる?」
隊長:「声を立てて笑いながら)うちなーんちゅですから!」
私:「シーブンはウチナンんちゅの心、ウチナーンチュならシーブンするよ!」
隊長、笑って離れる。私たちも立ち上がって移動した。
水曜日名物、豪華ランチバイキング。今日もそれぞれ自慢の弁当を開げた。博治さんも一緒に舌鼓を打った。
私はお昼を済ませた後、宮城秋乃さんへの取材のため、3回目の座り込みを前に辺野古を早退、友人の車で高江に向かった。
宮城秋乃さんの話は、長くなるので、また日を改めて報告したい。
高江に向かう途中、大浦湾の前を通る。桟橋に大きな台船を横付けして、土砂の陸揚げをしている様子が見えた。その後ろに、土砂を満載した台船が、何隻も待機している。まだ10%未満とはいえ、確実に辺野古の海が殺されていることがわかる。