高江機動隊派遣住民訴訟への裁判傍聴と事前学習会参加呼びかけ

 私も原告のひとりである「機動隊住民訴訟」の証人尋問が、来る20日10時から那覇地方裁判所で開かれる。

 この裁判は、2016年7月、東村高江の北部訓練場の建設を巡って、沖縄を含む全国から1000名の機動隊を導入し、凄まじい暴力と権力で抗議する住民を排除、工事を強行した日本政府の違法性を問うもので、沖縄に呼応して、機動隊を派遣した東京、大阪、福岡など6都府県でも同じく住民による訴訟か闘われている。

裁判を前に19日午後6時30分から事前学習会も行われる。裁判当日の傍聴、終了後の報告集会とともに、多くの皆さんのご参加を呼び掛ける。

 

 

 全国から派遣された機動隊車両の列。訴訟最大の争点は、誰が派遣要請をしたのかということと、県民弾圧のために派遣されたこれら車両のガソリン代、修理費などの費用が県民の税金から支払われたことの違法性。証人尋問によって明らかにされる。

 

2021年1月15日リンクURL

胸を打つ「カヌーチームぱぐさんのアピール」

 少し時間が経過してしまったが、いつも写真と情報を寄せてくださっている沖本裕司さんの「沖縄報告」に感動したエピソードがありましたので転載させてもらいました。

 ◇  ◇  ◇

 2020年最後の海上アピール行動が行われた12月14日(月)、カヌー27艇、抗議船は平和丸、不屈、ぶるーの船など6隻、ボート1艇、合わせて50人がK8護岸のオイルフェンス前の海域に結集、「土砂投入をやめよ」「海の生き物を殺すな」「民意を守れ」「違法工事ヤメロ」などと声をあげた。(中略)

 カヌーチームの一員で、ダイビングチーム・レインボーに所属するぱぐさんが「工事の皆さん、作業の手を止めて聞いてください」と、心からほとばしるようなマイクアピールを行なった。ぱぐさんは辺野古の埋め立てが始まる前に、K8護岸周辺にくらす生き物たちを一枚の写真図にまとめた人だ。(沖縄報告より抜粋引用)

 

 カヌーチームのぱぐです。
今、私たちの目の前には、護岸の上にクレーンがいくつもの伸びて、ものものしい作業船が嫌でも目に入ってきます。

 

 工事の皆さんどうか、作業の手を止めて聞いてください。

 でも、もともとはこの海は、ほんとに何にもない海でした。
ここから見える赤白鉄塔の前の海を抗議のためにカヌーで進んでいると、透明な水の中には小魚の群れが見えたり、時には仲間のカヌーの上に魚が飛び込んできたこともありました。人間は貴重種とか生き物を分類しますが、ここに生きてた沢山の生き物たちは、全て貴重な命だったのではないでしょうか。
 そんな場所に、次々と砕石が投げ入れられ、砂ぼこりと水しぶきがあがるたびに、毎回心がえぐりとられるようでした。それでも護岸はどんどん伸びていき、ついに海は囲われてしまいました。
 声をだすこともできず、囲われた護岸の中でじわじわと生き埋めにされた生き物たちにとって、ここは巨大すぎる墓場になってしまいました。余りにも長く伸びた護岸をまのあたりにして、悔しくて海の上で泣き叫んだ事もあります。

 

 この海に来たくても来れない人がいます。
コロナの心配だったり、健康や家庭や仕事の事情で来れない人もいます。そして死ぬまでこの海を守ろうと、基地建設に反対し続けながら亡くなっていった沢山の仲間もいます。ここに来れない人達に対して、こんなにも海が壊されてしまった事を、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

 この工事に携わる全ての人に問いかけたいです。


 あなたはこの仕事が1円もお金にならなくても、自分の信念で続ける価値のあるものだと思いますか。重機を動かす仕事は、災害復旧に役に立ちます。海保の技術は、海難救助ができます。政治で多くの予算を使えば、生活が困っている人をどれだけ助けられるのでしょうか。でもせっかくの専門技術が、ここでは戦争の準備のために、環境を破壊しています。いったい誰のためになる仕事ですか?


 自分をごまかしながら、少しずつ囲われしまって、いつのまにか心まで生き埋めにしないでください。辺野古・大浦湾の海の中を見たことがありますか?ほんの数メートルしか離れてない場所に驚くほど違う世界が広がっているのを知っていますか?その中でも人間が分かっていることは、氷山の一角に過ぎないのに、まだまだこの海には誰も知らない価値が眠っているかもしれないのに、このまま埋め立てられてしまっていいのでしょうか。


 日米両政府に訴えます。 戦争に繋がる新基地建設を、一刻も早く白紙撤回してください。
この海の破壊を今すぐやめてください。そして工事建設物を撤去して海を返してください。
私たちはこの海が元の何もない姿にもどるまであきらめるわけにはいきません。
必ずとりもどして、その時こそみんなで心の底からこの海を楽しみたいです。

<写真、情報提供:沖本裕司さん>

 

2021年1月14日リンクURL

毒ガス移送から50年、いまも変わらぬ沖縄の現実 ~ 今日(1月13日)の辺野古

 日本列島の端っこ、しかも遠く海を隔てた最南端にあるある沖縄は、夜明けが遅い。7:30を過ぎてやっと朝日が東の海から顔出す。

 きれいな朝焼けの中を辺野古へ向かう。今日は久しぶりにお日様の顔が見られそうだ。

 昨日より少し暖かいが、それでも最低気温12度は、沖縄の人間には少し辛い。年齢とともに暑さ、寒さに耐えがたくなってくるようだ。もともとあまり寒がりではないが、先日から20年ぶりにダウンのコートをタンスの奥から引っ張り出して着ている。 

 一回目の搬入が始まる9時前、30名余が工事用のゲート前に座り込む。

 水曜日担当のリーダー高里鈴代さんは第一声、「今日1月13日は、50年前沖縄から毒ガス移送された日です。50年たっても沖縄の現実は変わらない、どころかますますひどくなる一方!」と、今朝の新聞の社説を読み上げて紹介した。

 50年前のこの日、私も毒ガスを積んだ軍車両が走る沿道で、実況中継のスタッフとして立ち会った記憶がまざまざとよみがえる。思い出して鳥肌が立った。

 移送されたとはいうものの、果たして沖縄に貯蔵されていたすべての毒ガスが撤去されたかは、検証されていない。日本側にはその術がないのだ。「いまはない」とは、決して言い切れない。

 

 いつもの光景だが、生コン車の行列に毒ガス移送のイメージが重なり、また鳥肌が立つ。よもや50年たってまた同じ思いをするとは、夢想だにしなかった。辺野古の新基地が完成すると、100年後、200年後(新基地の耐用年数)の私たちの子や孫たちがもっとひどい思いをさせられる。なんとしても品基地建設は止めねばならない。

  

 

 今日目立ったのは、黒いフレコンバックを積んだダンプ。かなりの台数が入った。聞くところによると、「土嚢」だという。土嚢はわかるが、中の「土」が何なのかが問題なのだ。辺野古の埋立てには、当初から捨て所のない東日本原発事故の放射線汚染土壌が使われるのではないかと懸念されてきた。

 四国、九州からの土砂搬入が不可能になり、沖縄中から山や森を切り崩して土砂を調達しようとしていることが問題になっているが、それに気をとられているうちに、こっそり放射能汚染土壌が運ばれていても不思議はない。なんでもありの日本政府なのだ。

 そうなると、埋め立てによって直接生き埋めにされる数万の貴重な海の生き物たちだけでなく、周辺の海にまで汚染はひろがる。許されることではない。

 今日はメインゲートからの演習の軍車両の出入りもやたらと多かった。ヘリも一日中上空を旋回していた。爆音で話が何度も中断した。 

 市民らの抗議の話に聞き耳を立てる軍警。逐一メモを取る。それはどこに報告されているのだろうか!

 今日の辺野古での出来事、これらのことがすべていま日本の国の中で毎日のように起こっていることだと、どれだけの日本国民が知っているだろうか?「ここはどこだ!日本なのか?」と叫びたくなる。

 

 

2021年1月13日リンクURL