毒ガス移送から50年、いまも変わらぬ沖縄の現実 ~ 今日(1月13日)の辺野古

 日本列島の端っこ、しかも遠く海を隔てた最南端にあるある沖縄は、夜明けが遅い。7:30を過ぎてやっと朝日が東の海から顔出す。

 きれいな朝焼けの中を辺野古へ向かう。今日は久しぶりにお日様の顔が見られそうだ。

 昨日より少し暖かいが、それでも最低気温12度は、沖縄の人間には少し辛い。年齢とともに暑さ、寒さに耐えがたくなってくるようだ。もともとあまり寒がりではないが、先日から20年ぶりにダウンのコートをタンスの奥から引っ張り出して着ている。 

 一回目の搬入が始まる9時前、30名余が工事用のゲート前に座り込む。

 水曜日担当のリーダー高里鈴代さんは第一声、「今日1月13日は、50年前沖縄から毒ガス移送された日です。50年たっても沖縄の現実は変わらない、どころかますますひどくなる一方!」と、今朝の新聞の社説を読み上げて紹介した。

 50年前のこの日、私も毒ガスを積んだ軍車両が走る沿道で、実況中継のスタッフとして立ち会った記憶がまざまざとよみがえる。思い出して鳥肌が立った。

 移送されたとはいうものの、果たして沖縄に貯蔵されていたすべての毒ガスが撤去されたかは、検証されていない。日本側にはその術がないのだ。「いまはない」とは、決して言い切れない。

 

 いつもの光景だが、生コン車の行列に毒ガス移送のイメージが重なり、また鳥肌が立つ。よもや50年たってまた同じ思いをするとは、夢想だにしなかった。辺野古の新基地が完成すると、100年後、200年後(新基地の耐用年数)の私たちの子や孫たちがもっとひどい思いをさせられる。なんとしても品基地建設は止めねばならない。

  

 

 今日目立ったのは、黒いフレコンバックを積んだダンプ。かなりの台数が入った。聞くところによると、「土嚢」だという。土嚢はわかるが、中の「土」が何なのかが問題なのだ。辺野古の埋立てには、当初から捨て所のない東日本原発事故の放射線汚染土壌が使われるのではないかと懸念されてきた。

 四国、九州からの土砂搬入が不可能になり、沖縄中から山や森を切り崩して土砂を調達しようとしていることが問題になっているが、それに気をとられているうちに、こっそり放射能汚染土壌が運ばれていても不思議はない。なんでもありの日本政府なのだ。

 そうなると、埋め立てによって直接生き埋めにされる数万の貴重な海の生き物たちだけでなく、周辺の海にまで汚染はひろがる。許されることではない。

 今日はメインゲートからの演習の軍車両の出入りもやたらと多かった。ヘリも一日中上空を旋回していた。爆音で話が何度も中断した。 

 市民らの抗議の話に聞き耳を立てる軍警。逐一メモを取る。それはどこに報告されているのだろうか!

 今日の辺野古での出来事、これらのことがすべていま日本の国の中で毎日のように起こっていることだと、どれだけの日本国民が知っているだろうか?「ここはどこだ!日本なのか?」と叫びたくなる。

 

 

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