アイルランドからも来たぞ! ~ 今日(3月13日)の安和桟橋 

毎週水曜日は安和桟橋での集中行動日、今日(13日)も、早朝6時半平和市民連絡会が運航するバスで安和に向かう。街はまだ眠りの中だ。

7時半過ぎに安和に到着。桟橋には一隻の運搬船が横付けされ、トラックが運んできた土砂をベルトコンベアーで積み込む作業が始まっていた。

すぐにゲート前の抗議行動に加わった。

 抗議の人々は、青信号に従って舗道を歩くだけの牛歩戦術。辺野古のゲート前のようには機動隊も介入できない。桟橋入口は右折信号がない道路で、青信号で直進車両が途切れたときに、一台入るのがやっとの状況だ。

加えて、車を使っての抗議行動も展開。相乗効果で土砂を積んだトラックは、いつもの三分の一も入れない。

安和桟橋の前は美ら海水族館への通り道となっているため、レンタカーや観光バスがひっきりなしに通る。こちらが手を振ってアピールすると、バスの中から多くの人たちが拍手や手を振って応えてくれた。バスのガイドさんは、この状況をどう説明をしているのだろうかと、気になる。

抗議の人々の中に、赤白緑の三色旗のパフォーマンスで目立っていたのはアイリランドからやってきたカップル。

ネットで辺野古のことを知りやってきたという。自然をとても大切にするアイルランド人は、「こんな美しい海を埋め立てて、軍事基地を造るなんて、とても信じられない。友人たちに伝えたら、みんな署名にも積極的に協力してくれ、さらにそれぞれの友人たちにも広げてくれた」と。

毎週バナナの差し入れをもって激励に来てくださるのは、元衆議院銀の古堅実吉さん。この日も安和、辺野古、高江の3か所に自らバナナを届けて下さった。

土砂を積み終わった運搬船が、桟橋を離れるのを阻止するために海上行動で頑張っているカヌーチーム。この日は、船がまだ動き出さないので、ゲート前の抗議行動に加わった。天気が良く、温かい日とは言っても海の水はまだ冷たい。一番大変な部分を担っている人たちに頭が下がる。

途中、トラックの動きが途絶えたので何かと思ったら、ベルトコンベアーが故障して、船への積み込みがストップしたらしい。「神様が、私たちに味方した!」と、思わずカチャシーを踊りだす人々。

横断歩道をゆっくり渡るのも戦術の一つ。

この日、私は午後から別日程があったため、午前中で安和を後にした。いつもは一日に三隻の運搬船が辺野古向け出ていくが、この日は2時ごろやっと土砂を積み終わった一隻が出港しようとしたものの、カヌーチーム・辺野古ブルー(抗議船1隻、カヌー12隻)の頑張りで4時近くまで引き止められ、2隻目の接岸はなかったという。

 

2019年3月14日リンクURL

自民党支持層も反対多数 ~ 数字に見る 県民投票

 政府自民党(安倍政権)は、沖縄県民投票の結果を矮小化しようと躍起になっているが、そうすればするほど裏目に出ていることが、様々なかたちで露呈している。

 共同通信が行った世論調査で、沖縄だけでなく全国的に自民党支持層も58%、同じく政府与党の公明党支持層では73%が「県民投票の結果を尊重すべき」としていることが明らかになった。

<3月11日(月) 琉球新報朝刊より>

 また、実際に投票した人たちの出口調査では、自民支持者も反対が多数、年代別でもすべての年代において反対が上回っている。

 

2019年3月12日リンクURL

沖縄の魔除け「サン」~ 8年目の3・11の日に

沖縄では、食べものを外に持ち出すとき、その食べ物に邪気が取りつかないよう、ススキの葉を結んでで魔よけとします。

それは「サン」と呼ばれ、遠足、運動会などのお弁当に祖母や母が、お守りとしていつも添えてくれたものです。

「邪気なんて迷信だ」と言ってしまえばそれまでですが、昔の人たちは見えないものへの畏怖と尊敬を身体で感じて、祈りで対応していたのではないでしょうか。

私もそのタイプの人間で、先月16日祭で渡嘉敷島へ里帰りした折、お墓にお供えの重箱にはしっかり「サン」を添えました。

先日、名護の道の駅・許田で「サン」をモチーフにしたストラップ ↓を見つけました。食べ物だけでなく、携帯やスマホに付ければ、お守りの役目をはたしてくれそうです。

今日は3・11。タイミングを逸して掲載していなかったこれらの写真 ↑ を、今日はなぜかアップする気持ちになりました。

 

3年前の五月、福島とと岩手県の石巻市を訪れました。

辺野古には、自らはまだ避難所暮らしをしながら、「安倍政権の新基地建設許せない」と、ゲート前の座り込みに被災地の方々が来られます。それなのに「私はまだ被災地に行っていない」という思いに駆られてのことでした。

ここ数日震災のニュースが多くなり、3年前の5月に尋ねた被災地・石巻市の大川小学校のことがしきりに思い出されて…。津波の犠牲になった児童らの魂安かれと、祈らずにはいられません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16日祭のころの渡嘉敷島は、ちょうど深紅のケラマつつじが花盛りで、咲き始めたテッポウゆりの白とのコントラストが見ごろでした。

毎年、中学の卒業式、終業式に野でつんだ白いユリの花束を、島を離れる先生方に贈ったのを思い出します。今どきは、たぶん那覇の花屋さんで買った色とりどりの豪華な花束が好まれるのでしょうけど。

 

2019年3月11日リンクURL