今日(3月25日)の辺野古~日本って、アメリカの植民地みたいな国だったのネ

県民集会については昨日のブログで紹介しましたが、25日は県民集会(11:00~12:30)だけでなく、通常のゲート前行動もいつも通り行われました。
土曜日は議員集中行動日ですが、11時からの県民集会があるためか、まじめに早朝から参加した議員さんは、名護市議がお一人だけでした。

それでも早朝7:00雨が降るなか、30人ほどが工事用ゲートに座り込みました。

注目は、大阪から来た6人のメンバー。なんと今話題の森友学園のお膝元・豊中市の方が2人混じっていました。お話によると、いま安倍政権の足元を揺るがしている「森友学園問題」の発端は、地元の人たちが「公園にしたい」と豊中市や大阪府にいくら要請しても認められなかった土地に、変わった建物が建ち始めたのを、一人の豊中市議が「何かおかしい!」と情報公開などで調べ、「安倍晋三記念小学校」など、いろいろ疑惑が出てきたとのこと。

このことを、市議会で取り上げても無視され、マスコミに訴えても、どこも取り上げてくれなかったとのこと。一年以上前のことだそうです。継続して声をあげ続けて、やっと今、国会やマスコミが騒ぎ出していると、興味ある発言をしてくれました。

 雨が激しくなってきたので、8時半ごろからは座り込みはテンの下に移りました。山内徳信さんや島袋文子さんも元気に参加していらっしゃいました。

10:30には、県民集会の準備に入り、昨日お伝えしたように、山城博治さんも元気な姿を見せ、翁長県知事も参加して3500人が結集する熱気あふれる県民集会になりました。

工事車両の侵入を警戒して午後も座り込みは続けられました。県民集会が終わってまた降り出した雨の中、テントの下では、まよなかしんやさんのミニ・コンサート、大先輩・金城実さんのハーモニカに合わせて歌ったり、ユーモアあふれる替え歌で大盛り上がりでした。

 

 

 

 

 

 

      <那覇島ぐるみバスで生まれ育った「那覇バスターズ」の楽しい替え歌の数々>

          米軍基地建設に抵抗して闘っている韓国・済州島から来た女性が連帯の挨拶。

「沖縄戦で亡くなった人たちの遺骨を家族のもとに返してあげたい」と遺骨収集ボランティアとして活動を続けるがまふやーの具志堅さん。「終戦直後捕虜収容所だったキャンプシュワーブには、まだ収集されていない遺骨がたくさんあり、調査をさせてほしいと米軍に要請しているが、いまだに実現しない。米軍のために死んだ人たちの遺骨が収集されないまま、その上にさらに基地を建設するなんて、亡くなった人たちへの二重の冒涜だ。米軍は私たちにきちんと向き合え」と、基地に向かって、英語で訴えました。

沖縄出身で、現在キューバに住むこの女性は、毎年里帰りのたびに辺野古へやってくる。 最近、キューバで「標的の村」の上映会を開催。映画を観たキューバの人たちの感想は「日本は、豊かで何でもあり、とても自由な国と思って憧れていたけれど、本当はアメリカの植民地みたいな国だったのね」だったとか。かつてアメリカの植民地にされ、今なおアメリカによる経済封鎖と闘っているキューバだから、沖縄の状況が実感を持って伝わるのかもしれませんね。

 

来週の土曜日4月1日は、1000日集会が午前10時から辺野古ゲート前で行われる予定です。それまでに、翁長知事の埋め立て承認撤はあるのでしょうか?期待が膨らみます。

 

明日27日は、山城博治さんの裁判、第二回公判が、那覇地裁で午後1時からあります。(事前集会は12:00から、裁判所前の城岳公園で)

2017年3月26日リンクURL