ベトナムの旅⑬ 続・ベトナム戦争の記憶~戦争証跡博物館

ホーチミン市にある「ベトナム戦争証跡博物館」には、
ベトナム戦争に関する写真、資料、映像、品々およそ2万点余が保管・展示されており、
ベトナム現地の人々はもちろんのこと、世界中から一日2千人以上、年間70~80万人が訪れるという。

戦争博物館 写真 正面門

正門を入ると、中庭に戦闘機、ヘリ、戦車などが展示されている。

戦車 展示

200万人以上が犠牲になったベトナム戦争。館内には見ているのがつらくなるような生々しい写真や資料が展示されている。

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船倉博物館 写真④

米軍はあらゆる残虐行為をした

米軍はあらゆる残虐行為をした

米兵は「ベトナム人を人間とは思わなかった」と。

「ベトナム人を人間とは思わなかった」と元米兵は証言している。

胸がつぶれそう…

胸がつぶれそう…

米軍が撒いた枯葉剤の影響で、ベトナムではたくさんの奇形を持った子どもたちが生まれた。「ベトちゃんドクちゃん」は日本でもよく知られた一つの例。しかし、彼らのような奇形児は今も生まれ続けている。

枯葉剤で枯野になった中に立つ子ども

枯葉剤で枯野になった中に立つ子ども

博物館の一角で、枯葉剤被害者の若者たちが、作品展示や広報活動を行っている

博物館の一角で、枯葉剤被害者の若者たちが、作品展示や広報活動を行っている。彼らの了解を貰って撮影させてもらった。

ベトナム戦争では、たくさんのジャーナリストが取材をし、また命を落とした人も少なくない。日本人ジャーナリストの石川文洋さん(沖縄出身)と中村梧郎氏の写真も常設。

石川文洋さんのコーナー

石川文洋さんのコーナー

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二階には子どもたちが描いた絵・ラブ&ピースが展示されているので、こちらも是非見てもらいたい。

ベトナムの子どもたちが描いた絵。テーマは愛と平和

ベトナムの子どもたちが描いた絵。テーマは愛と平和

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戦争でいつも犠牲になるのは、末端の国民、特に女、子ども、年寄。

6月の沖縄は慰霊の季節。特に終戦70年の節目の年とあって、連日沖縄戦の証言など戦争の記事が新聞紙面を埋める。「軍隊は住民を守らない」「基地、軍隊が戦争を呼び込む」、これが多くの犠牲を払って得た沖縄戦の教訓である。

武力で平和は守れない、つくれない。改めて胆に銘じよう!

2015年6月19日リンクURL

ベトナムの旅 ⑫~ベトナム戦争の記憶・クチ・トンネル

圧倒的な物量に勝る米軍を「象」に例えると、竹ヤリ状態で米軍に立ち向かう北ベトナム軍はさしずめ「アリ」、というのがベトナム戦争の構図である。軍事力の優劣は明らかで、米軍も「この戦争はすぐに決着がつく」と思っていた。

しかし、戦いは泥沼化して長期にわたり、そして、「アリ」は「象」に勝ったのである。
その大きな要因の一つが、地下につくられたれたトンネルの存在だった。

ホーチミン市から北西におよそ70キロ。クチ(古芝)と呼ばれる地区の地下には、総延長250キロメートルにも及ぶ地下トンネルが、網の目のように張り巡らされている。それも3層になっていて、入り口は「ホントに人間が入れるのか」と思うほど狭いが、奥には病院も市場も、芝居も映画もあったという。

ベトナムの兵士は本当にアリになったのである。

クチ・トンネルの模型。まるでアリの巣のよう。

クチ・トンネルの模型。まるでアリの巣のよう。

まず、映像でベトナム戦争の経緯、クチのことなどで説明される。ちゃんと日本語になっていた。

まず、映像でベトナム戦争の経緯、クチトンネルのことなどが説明される。ちゃんと日本語になっていた。

トンネルの入り口。うまくカムフラージュされ、ふたをすれば全くわからな。

トンネルの入り口。同行のメンバーが実際に入ってみた。うまくカムフラージュされ、ふたをすれば全くわからない。

この辺りはベトナム戦争の時代「鉄の三角地帯」と呼ばれた解放戦線の拠点だった。米軍はB52で爆撃し、枯葉剤を撒いて村々を焼き払ったが、解放戦線の兵士は地下に潜って活動した。

兵士は、昼は戦い、夜は食料をつくるために耕した。どこからともなく現れて、どこかへ消えていく彼らを、米軍は「ベトコンはどこにも見えないが、どこにでもいる」と表現している。

アリ塚のように見えるが、実は地下トンネルの空気溝

アリ塚のように見えるが、実は地下トンネルの空気溝 

そのクチの地下トンネルが、ベトナム戦争の遺跡として、国民の平和学習と、外国人向けの観光施設となって一部開放され、見学できるようになっている。

トンネルの中で武器をつくる様子(人形)

トンネルの中で武器をつくる様子(人形)

古タイヤから草履をつくる。足跡からトンネルの入り口が知られないよう、前後が反対につくられた。

古タイヤから草履をつくる。足跡からトンネルの入り口が知られないよう、前後が反対につくられたという。

ガイドは国家公務員

ガイドは国家公務員

ベトコン(米軍が使ったベトナム兵士の蔑称)を見つけて追っかけて行くと落とし穴に転落し、穴の底には写真のような仕掛けがあり、落ちた米兵は串刺しになったまま数日間苦しみつづけ、やがて死んでいくという手作りの武器である。

落とし穴底に仕掛けられた針山。

落とし穴底に仕掛けられた針山。

ベトナム戦争で、米軍はあらん限りの残虐行為をベトナムの人たちに行っている。それに対抗するためには、こんな仕掛けも必要だったのだろう。が、鉄の針山に突き刺されたまま何日も苦しみもだえ、やがて死んでいく人間を想像して、私は、冷たい汗をかいて身震いした。他にも拷問のための道具がいくつも展示されていた。

米軍戦車の残骸

米軍戦車の残骸

戦場では、殺さなければ殺される。相手が残虐であればあるほど、抗する側もさらに残虐にならざるを得ない。戦争は、一旦始まってしまえば、始めたに方にも仕掛けられた側にも、どっちにも正義はない、と私は改めて思った。

2015年6月18日リンクURL

未完成のベトナム報告~ベトナムの旅 ⑪

沖縄のことを、県外の多くの人たちに知ってほしくてブログを始めて5年。
いったいどれだけの方が見てくださっているのかは、皆目見当もつきませんでしたが
それを知る方法があるとわかって、去る4月からカウンターをつけてもらいました。
思った以上に多くの方々が来て下さっていることに驚き、感謝に耐えません。

でも意外だったのは、人気記事の上位に「ベトナムの旅」が上がっていることでした。

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実は、ベトナムの旅シリーズはまだ完結していないのです。
旅の主目的であった「奨学金の贈呈式」についてはお伝えしましたが、
もう一つ重要な「ベトナム戦争の記憶」がアップできないまま、一年以上中断してしまいました。(一年前のこの時期、私の中でベトナム戦争の重さを書き綴る精神的なパワーが持てなかったためです。言い訳になりますが…)

ベトナムでも女性たちは働き者(早朝の市場で)

ベトナムでも女性たちは働き者(早朝の市場で)

いまさらという感じもしますが、ベトナム戦争を語らずにはベトナムの旅の報告とは言えないので、次回からあと2~3回ごく簡単にふれてシリーズを締めくくりたいと思います。

 

2015年6月17日リンクURL