オスプレイパッドの建設をめぐり、沖縄防衛局は、市民の抗議活動によって大幅に遅れている工事を進めるため、昨日(9日)、ついに民間の大型特殊ヘリを使って、工事用の重機やその部品などの搬入を開始した。
今のところ民間のヘリだが、自衛隊のヘリを使うこともあり得ると、防衛局は言っている。
今日の辺野古ゲート前は先客万来!特に若者たちで活気づいた。
彼らは、東京都内の大学で政治を学ぶ学生たちのグループ(14人)で、ここ10年ほど、毎年8~9月に平和学習のため沖縄に来ているとのこと。昨日まで「高江」で一日座り込みに参加。
「これが国家のすることか!自分たちの選んだ人たち(政治家)がやっていることか!と、国家暴力の恐ろしさを目の当たりにしてショックだった」「一日中極度に緊張した状態の中で、沖縄の人たちがいかに真剣に、本気で、粘り強く、あきらめずに抵抗しているか実感した」「東京に戻って自分に何ができるか真剣に考えたい。問われているのは県外の私たちだ」と、それぞれに感想を語った。
「私の総理時代に”最低でも県外”と言っておきながら、辺野古を認めることになってしまった。今でも心から悔いている。今の自分に何ができるか、沖縄の皆さんと共に活動を進めていきたい。日本の国を動かしているのは官僚。その官僚を裏で操作しているのがアメリカである。アメリカを変えなければ日本は変わらない。微力ではあるが、アメリカ政府、アメリカの国民を変えていくための活動をしていく。
午後からは、専修大学の学生たち22人がやってきた。若い世代に沖縄の実情を実体験してもらうことはとても大切。「あなたたちの未来だよ。しっかり見てほしい」と、鳩山元総理も学生たちに言っていた。これから「高江」にも行くということで、自分たちの未来に何が見えるか、そしてどう行動するか、期待しよう!
読谷村民会議の皆さんは、毎週金曜日にやってくる。今日は辺野古に7名、高江に5名参加とのこと。合言葉は「できるときに、できる人が、できることをしよう」。この緩やかな連帯が、揺るぎなく息の長い活動を続けている秘訣。毎回村役場の職員が二人以上年休を摂って参加しているというのも、他にはないすごいことだ。
座り込みの参加者同士、お互いに助け合い、思い合い、いたわり合う心が自然に湧いてくるのも「辺野古」「高江」の特徴。今日も差し入れがいっぱい。
モーウイ(まくわうり)のワサビ漬け。美味!
(←この方の手作り)
お昼のおかずにと、料理上手の島袋文子さんから豚バラ肉のお煮つけが届いた。(美味しかったで~す!文子さん)
N1地区の工事が再開され、緊迫する「高江」に抗議行動を集中することになり
3日(土)は初めての「一斉行動日(毎週水・土曜日)」。
およそ500人が結集し、完全に工事車両を止めることができた。
午前五時、すでに高江に向かう国道70号線で、機動隊が検問を行っていると情報の中、果たして集会が行われるN1ゲート前までたどりつける懸念しながら、平和市民連絡会のチャーターバスで那覇を出発。
7:30分、検問が行われれているはずの「高江橋」には、機動隊ではなく、工事舎車両を警戒する反対市民側の車列と手を振る人々にむかえられて、無事N1に到着。
N!ゲート前では、300人が座り込み、すでに午前6時から集会が始まっていた。
この人数では、さすが500人体制の機動隊も手が出せないようだ。
前日辺野古に来てくれたVFP/ベテランズ・フォー・ピースのメンバーも頑張っていた。
市民たちの抵抗運動は徹底した非暴力の抵抗だが、いざというときはしっかりと弁護団がついている。「30人の弁護士がついています。安心して逮捕されてください(笑)」と、池宮城紀夫弁護団長。
そして、 県内5か所の地域で、今日ここに来れなかった人たちが、地元のメインストリートで「辺野古新基地反対」「高江の森を壊すな」とスタンデングアピールを行っていると、現場リーダーの山城博治さんが涙で声を詰まらせながら報告。参加者の間から歓声と拍手が起こった。
正午過ぎ、早朝から始まった抗議行動も、少し人数が減ってきたので、工事車両を止める守りのポイントとなる「高江橋」に移動。橋の上の道路両端に隙間なく車を駐車し、その間200人の人々が座り込んだ。砂利を積んだ大型のダンプが通れないようにするためだ。
<全国からかき集められた機動隊は500名。居並ぶ県外ナンバーの装甲車。数えたら22台もあった>
この間も、なんだかんだと理由をつけて、警察車両が行ったり来たりしたが、車も人も強制排除されることはなかった。
一時間ほど土砂降りの雨に見舞われたが、元気に橋の上でデモ行進。
午後3時、ついに一日中、工事車両を止めることができた。一斉行動の大成功を、三線の生演奏に合わせて、カチャシーで集会をしめくくった。