5月15日は、43年前に沖縄が米軍施政権下から
日本に復帰した日。
平和憲法の下に帰るはずが、
そこにあったのはあこがれた平和憲法ではなく、日米安保条約だった。
復帰前51%だった沖縄の米軍基地は、いま逆に74%にまで増え、
そのうえ古くなって使い物にならなくなった普天間飛行場の移設を口実に
最新鋭の高機能基地をつくろうというのが、沖縄県民がいま激しく抵抗している辺野古新基地建設問題の本質である。
今朝も早朝6時からゲート前行動に参加した。
12日に通過した台風の影響で、海上の掘削作業は中止されたままで、ゲート前行動は主に、基地に出勤する米兵に「70年にわたるあなた方米軍の駐留は十分すぎるほど長い。どうぞ本国に帰ってください」とアピールした。
5・15には毎年全国から大勢の人たちを迎えて「平和行進」が行われる。
東、西、南の3つコースにわかれ、15日から3日間県内各地を行進して平和を訴える。
今年、東コースの出発式は1300名が参加して辺野古の海が見渡せる瀬嵩の浜で行われ
埋め立て工事の準備が進む辺野古の海を見ながら行進し、
午後1時過ぎにシュワブゲート前の抗議行動に合流した。
1300人もの人たちが、刻々とゲート前に近づいてくる様子は頼もしく、全国にはこんなに仲間がいると思うと励まされ、勇気が湧いてくる。
挨拶に立った行進団の団長、副団長は共に若い女性で、折しも毎週金曜日はゲート前行動の指揮は女性が担当することになっており、まさに女性デーの5・15だった。
平和行進団と、朝からゲート前に座り込んで抗議行動を続けていた市民を合わせておよそ 1500人が、シュワブ基地のフェンスを包囲し、「沖縄を返せ」をみんなで歌って「辺野古NO」の意志を表明した。
テントの下も溢れんばかりの人々。参加者同士のにぎやかな交流が行われた。
行進団の皆さんにと、車で冷たい水を大量に差し入れに来た人も。
最後は、お決まりのカチャーシーで締めくくられた。
夕方那覇に戻ると、平和行進に対抗しているつもりか、国際通りを100名ほどの日の丸の行列が…。全国に波及する辺野古反対の声に危機感を感じた右翼による、沖縄での妨害行為が最近特に目立ってきている。