ベトナムの旅⑭ 続々・ベトナム戦争の記憶 ~アオザイと女性と戦争

私たちが「ベトナム戦争証跡博物館」を訪れたとき、ベトナムの民族衣装アオザイの特別展が行われていた。

ベトナム戦争当時に女性たちが着ていたアオザイ

ベトナム戦争当時に女性たちが着ていたアオザイ

民族衣装と戦争・平和がどう結び付くのか訝しがっていると、
沖縄にもいらしたことがあり、そのときお会いしたことがご縁(当時は副館長)で、
館長・フィン・ゴック・ヴァンさんが、私たちを特別に直接案内、解説してくださった。

アオザイ姿がよく似合うヴァン館長

アオザイ姿がよく似合うヴァン館長

日本のきものと並んで、女性を美しく見せる民族衣装と言われるアオザイ。
きもの同様日常的にはあまり着られることがなくなり、
結婚式や特別な行事での着用で、やっと細々伝統が維持されているとのこと。
アオザイの魅力を何とか若い人たちに分かってもらいたいと、
この特別展を企画したという。

伝統的なアオザイ

伝統的なアオザイ

履物

履物

腰に下げた銀のアクセサリー

腰に下げた銀のアクセサリー

 

 

この特別展では、ベトナム戦争でアオザイがどんな役割を果たしたかが語られていた。

 

ベトナム戦争では、兵士だけでなく多くの人民、女性たちも戦わざるを得なかった。英雄と呼ばれる女性を何人も生み出している。長く過酷な戦争の中で、彼女たちが心のよりどころにしたのが、民族的象徴・アオザイだった。

特別展では国民的英雄となった女性たちの活躍ぶりを紹介し、実際に彼女たちが着ていたアオザイが展示されていた。

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色鮮やかなアオザイ

後に英雄として讃えられた女性、そして彼女が来ていたアオザイ。

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若い女性たちも、戦った。その団結の印が白いアオザイだった。

女性リーダーの話に聞き入る村人たち

女性リーダーの話に聞き入る村人たち

本来、平和の象徴であるべき美しい民族衣装・アオザイが、戦争のユニフォームになったという話。強いられた戦争を、正義と生き延びるために戦ったベトナムの人々の苦難を、辺野古の闘いに重ね合わせて複雑な気持ちで聞いた。

 

2015年6月21日リンクURL

ベトナムの旅⑬ 続・ベトナム戦争の記憶~戦争証跡博物館

ホーチミン市にある「ベトナム戦争証跡博物館」には、
ベトナム戦争に関する写真、資料、映像、品々およそ2万点余が保管・展示されており、
ベトナム現地の人々はもちろんのこと、世界中から一日2千人以上、年間70~80万人が訪れるという。

戦争博物館 写真 正面門

正門を入ると、中庭に戦闘機、ヘリ、戦車などが展示されている。

戦車 展示

200万人以上が犠牲になったベトナム戦争。館内には見ているのがつらくなるような生々しい写真や資料が展示されている。

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船倉博物館 写真④

米軍はあらゆる残虐行為をした

米軍はあらゆる残虐行為をした

米兵は「ベトナム人を人間とは思わなかった」と。

「ベトナム人を人間とは思わなかった」と元米兵は証言している。

胸がつぶれそう…

胸がつぶれそう…

米軍が撒いた枯葉剤の影響で、ベトナムではたくさんの奇形を持った子どもたちが生まれた。「ベトちゃんドクちゃん」は日本でもよく知られた一つの例。しかし、彼らのような奇形児は今も生まれ続けている。

枯葉剤で枯野になった中に立つ子ども

枯葉剤で枯野になった中に立つ子ども

博物館の一角で、枯葉剤被害者の若者たちが、作品展示や広報活動を行っている

博物館の一角で、枯葉剤被害者の若者たちが、作品展示や広報活動を行っている。彼らの了解を貰って撮影させてもらった。

ベトナム戦争では、たくさんのジャーナリストが取材をし、また命を落とした人も少なくない。日本人ジャーナリストの石川文洋さん(沖縄出身)と中村梧郎氏の写真も常設。

石川文洋さんのコーナー

石川文洋さんのコーナー

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二階には子どもたちが描いた絵・ラブ&ピースが展示されているので、こちらも是非見てもらいたい。

ベトナムの子どもたちが描いた絵。テーマは愛と平和

ベトナムの子どもたちが描いた絵。テーマは愛と平和

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戦争でいつも犠牲になるのは、末端の国民、特に女、子ども、年寄。

6月の沖縄は慰霊の季節。特に終戦70年の節目の年とあって、連日沖縄戦の証言など戦争の記事が新聞紙面を埋める。「軍隊は住民を守らない」「基地、軍隊が戦争を呼び込む」、これが多くの犠牲を払って得た沖縄戦の教訓である。

武力で平和は守れない、つくれない。改めて胆に銘じよう!

2015年6月19日リンクURL

ベトナムの旅 ⑫~ベトナム戦争の記憶・クチ・トンネル

圧倒的な物量に勝る米軍を「象」に例えると、竹ヤリ状態で米軍に立ち向かう北ベトナム軍はさしずめ「アリ」、というのがベトナム戦争の構図である。軍事力の優劣は明らかで、米軍も「この戦争はすぐに決着がつく」と思っていた。

しかし、戦いは泥沼化して長期にわたり、そして、「アリ」は「象」に勝ったのである。
その大きな要因の一つが、地下につくられたれたトンネルの存在だった。

ホーチミン市から北西におよそ70キロ。クチ(古芝)と呼ばれる地区の地下には、総延長250キロメートルにも及ぶ地下トンネルが、網の目のように張り巡らされている。それも3層になっていて、入り口は「ホントに人間が入れるのか」と思うほど狭いが、奥には病院も市場も、芝居も映画もあったという。

ベトナムの兵士は本当にアリになったのである。

クチ・トンネルの模型。まるでアリの巣のよう。

クチ・トンネルの模型。まるでアリの巣のよう。

まず、映像でベトナム戦争の経緯、クチのことなどで説明される。ちゃんと日本語になっていた。

まず、映像でベトナム戦争の経緯、クチトンネルのことなどが説明される。ちゃんと日本語になっていた。

トンネルの入り口。うまくカムフラージュされ、ふたをすれば全くわからな。

トンネルの入り口。同行のメンバーが実際に入ってみた。うまくカムフラージュされ、ふたをすれば全くわからない。

この辺りはベトナム戦争の時代「鉄の三角地帯」と呼ばれた解放戦線の拠点だった。米軍はB52で爆撃し、枯葉剤を撒いて村々を焼き払ったが、解放戦線の兵士は地下に潜って活動した。

兵士は、昼は戦い、夜は食料をつくるために耕した。どこからともなく現れて、どこかへ消えていく彼らを、米軍は「ベトコンはどこにも見えないが、どこにでもいる」と表現している。

アリ塚のように見えるが、実は地下トンネルの空気溝

アリ塚のように見えるが、実は地下トンネルの空気溝 

そのクチの地下トンネルが、ベトナム戦争の遺跡として、国民の平和学習と、外国人向けの観光施設となって一部開放され、見学できるようになっている。

トンネルの中で武器をつくる様子(人形)

トンネルの中で武器をつくる様子(人形)

古タイヤから草履をつくる。足跡からトンネルの入り口が知られないよう、前後が反対につくられた。

古タイヤから草履をつくる。足跡からトンネルの入り口が知られないよう、前後が反対につくられたという。

ガイドは国家公務員

ガイドは国家公務員

ベトコン(米軍が使ったベトナム兵士の蔑称)を見つけて追っかけて行くと落とし穴に転落し、穴の底には写真のような仕掛けがあり、落ちた米兵は串刺しになったまま数日間苦しみつづけ、やがて死んでいくという手作りの武器である。

落とし穴底に仕掛けられた針山。

落とし穴底に仕掛けられた針山。

ベトナム戦争で、米軍はあらん限りの残虐行為をベトナムの人たちに行っている。それに対抗するためには、こんな仕掛けも必要だったのだろう。が、鉄の針山に突き刺されたまま何日も苦しみもだえ、やがて死んでいく人間を想像して、私は、冷たい汗をかいて身震いした。他にも拷問のための道具がいくつも展示されていた。

米軍戦車の残骸

米軍戦車の残骸

戦場では、殺さなければ殺される。相手が残虐であればあるほど、抗する側もさらに残虐にならざるを得ない。戦争は、一旦始まってしまえば、始めたに方にも仕掛けられた側にも、どっちにも正義はない、と私は改めて思った。

2015年6月18日リンクURL