聞き捨てならぬ!~中央政治の沖縄潰し発言

自民党の有志議員たちが開いた勉強会で、講師や参加した議員たちが「沖縄の二つの新聞は潰さないといけない」、「マスコミを潰すには広告収入をなくすのが一番。経団連などに広告差し止めを申し入れよう」などと、沖縄のマスコミに対し言論弾圧を促す発言をしていたことが明らかになり、批判を浴びている。

聞いたときは耳を疑った。戦前の話しではない。つい先日25日のことだ。日本の政治家はここまで劣化してしまったのか!

ことの発端は、勉強会の講師を務めた作家の百田尚樹氏が「普天間基地はもともと田んぼで何もないところにできた。爆音がうるさいとわかっていて、住民の方が商売の為に基地の周辺に集まってきて住むようになった」と、まったくでたらめな講話をし、それに呼応するように議員たちが、次々と上記のような発言をしたという。それこそ本音がでたということに他ならない。

百田氏と言えば、安倍総理のお友だちのよしみでNHKの経営委員になったが、数々の問題発言で委員を辞めた人物だ。
この勉強会で、百田氏はさらに「沖縄の米兵がレイプ事件を起こすことがあるが、沖縄の住民が起こすレイプ事件の比率の方が高い」と、もともと比較できるはずのない数字を根拠に、県民を蔑視する発言もしている。

しかも、沖縄のマスコミは偏っているといいながら、「沖縄の新聞は読んだことはない」とは、あきれてものも言えない。

標的にされた沖縄タイムスと琉球新報は
共同で抗議声明を発表した。

言論弾圧 抗議声明

 

これより先琉球新報は、去る23日慰霊の日の紙面で、かつて全国の新聞が、国家権力に迎合し戦争に加担した歴史があつたことを反省し、寄って立つべきは「反戦平和」と、マスメディアとしての報道姿勢を明らかにしていた。

琉球新報 6月23日より

琉球新報 6月23日より

2015年6月27日リンクURL

今日(6月26日)の辺野古

DVC00029.JPGゲート前の抗議行動は、出勤する海保や工事車両を基地の中に入れないため毎朝6時から始まる。

しかし、この日は抗議行動の開始時間を見越して海保の車が5時半過ぎに基地内に入ったことが明らかになった。

6時に間に合わせるつもりでゲート前に到着したら、抗議行動は泊まり込んでいた人たちを中心にすでに緊迫した状況になっていた。

それでも大方の工事車両がやってくるのは7時過ぎ、基地内での作業を1分1秒でも、遅らせるのが目的なので、工事車両専用ゲートに座り込む。

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ゲート前の抗議行動と海上での抗議船やカヌーチームの抵抗で
埋め立て作業のための海底調査が、すでに予定より半年以上遅れているが、防衛省は、6月末終了予定をさらに延長すると、数日前に発表している。

赤ちゃん連れの若いお母さん。ただ見守るしかできないが、しっかりこの目で見届けたい。この子の将来のためにと…。

赤ちゃん連れの若いお母さん。ただ見守るしかできないが、しっかりこの目で見届けたい。この子の将来のためにもと…。

ゲート前のテントにはこの日も常時70人から150人の人たちが
県内各地、県外からもやってきて座り込んだ。
9時半から抗議行動の第二波が始まる。

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この日はまず、長期にわたって泊まり込みの抗議行動に参加している若者の誕生日をみんなで祝った。働いてお金を貯めては年に数回辺野古にやってくる愛称カトちゃん。

恒例のかじゃで風(おめでたい時に歌い踊られる沖縄の古典音楽)に誕生日ケーキ、カチャーシー。彼女には内緒のサプライズ誕生会だったので、思わず涙ぐむカトちゃんだった。

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今日も思いがけない差し入れがあった。雑貨の小売店をしているという男性が名前も告げず…。

数十個のリゾートバッグとサンダルの差し入れ。

数十個のリゾートバッグとサンダルの差し入れ。

ゲート前は沖縄の夏の厳しさが身に沁みる。高齢者も多いので、熱射病には参加者がお互いに気を配りあう。ただ今日は風があったので、琉球松の木陰のテント下は結構涼しかった。緑の力は偉大だ。自然は大切にしないといけない。海だけでなく緑の山も壊す基地の建設はNOだ!

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不屈の座り込み355日目の辺野古から。

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前日25日は、那覇市の県庁前県民広場で、「戦争法案廃棄を求める緊急抗議集会」が開かれ、国際通りをデモ行進。沿道から手を振って賛同を示す通行人が多く、いつもと違う雰囲気を感じた。戦争法案に不安を抱く国民が少なくないことを実感した。

2015年6月27日リンクURL

戦後70年の慰霊の日 ③~国際反戦沖縄集会

沖縄戦では24万人余が犠牲になった。当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになる。

沖縄戦最後の激戦地となった糸満市の摩文仁には、平和の礎をはじめ各県の慰霊碑が建ち並ぶが、「沖縄県の碑」と名のつく慰霊塔だけはどこにもない。
ここ「魂魄の塔」が、その役割を果たしている。

魂魄の塔

魂魄の塔

戦後、累々と野ざらしになっていた戦没者の遺骨を拾い集めて祀ったのが、この「魂魄の塔」である。戦争で亡くなった家族の遺骨が見つからなかったり、どこで死んだのかわからない遺族は、ここへお参りに来る。

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今年も早朝から夕方日が落ちるまで、線香の煙が絶えることがなかった。
今年は特に子どもたちを伴った家族連れが目立ったのは、私の気のせいばかりではないようだ。

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市民グループは、毎年、県主催の追悼式とは別に「魂魄の塔」の前で国際反戦沖縄集会を開く。

琉球讃歌と空手踊り

琉球讃歌と空手踊り

三線とうちなぁぐちで

三線とうちなぁぐちで

 

高江から

高江から

辺野古から、高江から、泡瀬干潟から、フクシマから、韓国から、ニューヨークから、志を同じくする市民のネットワークを繋げ広げる集会となる。

例年、歌あり、踊りあり、メッセージありとにぎやかだが、特に今年は戦後70年の節目の年とあって、反戦・平和への誓いも新たに、盛り上がりのある集会となった。

フクシマから

フクシマから

被曝し経済的価値を失い見捨てられた牛たち300頭の面倒を見続けているという畜産農家からの報告。「国の、フクシマ(原発)政策と沖縄の基地政策は根っこは同じ。牛たちには放射能の影響が身体に様々現れており、人間に何の影響もないというのはおかしい」と、国策を問う連帯を訴えた。

 

2015年6月25日リンクURL