9条の碑シリーズ⑤ ~ 西原町の9条の碑

 沖縄県のコロナ新感染者は、昨日まで11日間のゼロを記録し、玉城デニー知事は、14日からに段階的に休業要請を解除すると発表した。

 今朝出勤時間に一時間ほど街頭で県議選の応援の手振りスタンディングをしていると、昨日と打って変わって、交通量は普段に近い状態に戻り、道行く人・車の運転をしている人の半分以上が、すでにマスクをしていない。のんびり屋のうちなぁ人にしては、反応が早いなあ!

 しかし、今日の主題はコロナではない。2014年、全国で皆無の状態の中で、沖縄に「9条の碑」が多い(当時6つ)ということがわかり、シリーズで紹介を始めた。が、辺野古の工事が始まったことなどもあり、中断したままになってしまった。改めて紹介を続けたい≁

 

シリーズ⑤~西原町の9条の碑

 西原町の9条の碑は、2002年10月に沖縄の祖国復帰30周年を記念し建立された。沖縄にとって「祖国復帰」とは、まさに「平和憲法を持つ日本へ帰ること」だったのである。

 沖縄にある7つの9条の碑のほとんどが行政の手によるものであるが、西原町も町役場の前に、町を見守るように穏やかにたたずむ。

 ここ 西原町は、沖縄戦で住民の半数近くの人が犠牲になったという。町民の平和への思いは、ことさら強いものがあるのではないだろうか。

 

建立当時の町長・翁長正貞氏の町民への政策理念が「沖縄の立場を踏まえ、護憲、反戦平和、国際交流を基調とする街づくり」であった。平和への想いの強さが伝わってくる。西原9条連の共同代表も務めた。

 西原町には、いま町内にアメリカ軍の基地などがなく、日本一の広大な敷地面積を持つ琉球大学があり、平和な文教都市として発展している。その礎を憲法9条の碑が担っている。憲法9条を変えさせてはならない。

2020年5月12日リンクURL

平和や人権に重大事態進行 ~ コロナ禍にかこつけて

自分の国の政治を信頼できない」、国民にとって不幸なことはない。自らが選んだ政治家たちであるだけに、身を切られるような思いだ。

 全国民がコロナ禍で死ぬほど苦しんでいるときに、裏で「戦争のできる国にするために奔走する人たち」、それがこの国のかじ取りを牛耳っている。そんな政治家を、私たちはいつまで選び続けるのだろう。

<5月1日 琉球新報>

<5月4日 琉球新報>

2020年5月1日リンクURL

あれから4年 私たちはあの日を そしてあなたを忘れない  ~ 元米兵女性殺害事件

 沖縄の女性たちは、4年前の4月28日を決して忘れない……20才の女性が自宅近くでウォーキング中、元米兵で軍属に拉致・強姦されて山中に遺棄された事件。半ば白骨化した遺体は20日以上経って、キャンプ・ハンセンの演習場につながる山中で発見された。

  遺体遺棄現場(2017年撮影)

 彼女が殺害されたその日・4月28日は、奇しくもサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が切り捨てられた「屈辱の日」であり、4年前のその日も、米軍基地のために日々辺野古でおしすすめられる命の海の埋め立ても、いまに続く日米政府による屈辱の日々の象徴である。

 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが、今日(29日)開催予定だった集会がコロナ騒動で中止になったため、メッセージを発表したので、ご紹介する。

 

2020年4月29日リンクURL