県民投票 全県実施確定 ~ 今日(2月2日)集中行動日の辺野古

 県民投票に不参加を表明していた5つの市すべてが、紆余曲折を経て、昨日までに2月24日実施で参加することが確定したことを受けて、大いに盛り上がった今日の辺野古ゲート前。

今日は、毎月第一土曜日に開催する「土曜大行動」の日。11時からの集会に合わせて準備中。全県実施が確定し、「反対に〇を」のぼりを立てる作業にも力がこもる。

まずはいつもの通りゲート前に座り込む。

10時過ぎ、今日は全島駅伝大会があり、辺野古ゲート前の県道もコースに入っていることから、土砂の搬入はないことが判明。集会に向けて、テントに移動した。

テントでは、温かい味噌おでんの差し入れが待っていた。アツアツの大根とこんにゃくをいただいた。

 集会の開会を前に、ついに国が認めざるを得なくなった「軟弱地盤」について、平和市民連絡会の北上田毅さん(土木専門家)が解説した。

「国は、70㍍✖6万本の砂杭を打って、マヨーネーズ地盤の改良を行うといっているが、先に沖縄県が試算した工事費2兆5千500億円、工期13年は、砂杭2万本であった。これが6万本ということは3倍ということになる。これにより工事費や工期がいくらに膨れ上がるのか、国は試算さえできないでいる。

 しかも、6万本の砂杭には240万立法㍍の海砂が必要となる。それだけ採取する場所は沖縄のどこにもないし、これを大浦湾に打ち込めば環境に与える影響は計り知れない。その前に設計概要の変更には沖縄県の承認が必要だが、これは例え玉城デニー知事が埋め立て反対の立場でなくても、承認しようがないほどの大問題だ。

 以前から言っているように辺野古埋め立ては必ずとん挫する。私たちは決して負けることはない」。北上田さんの発言に大拍手が起こった。

11:00、沖縄平和運動センター議長・山城博治さんの開会宣言で「土曜大行動」スタート。県民投票不参加を表明していた5市を参加の方向でとりまとめた自民党沖縄県連の照屋会長に「感謝!」と皮肉とも本気ともとれる山城節。

そして、5市の市民代表が全県実施に至るまでのこの間の闘いを報告した。

5市の市長は、安部官邸への忖度や永田町自民党からの「県民投票つぶし」の圧力により、投票事務の予算案否決した「議会の意志を尊重する」を理由に不参加を表明したが、裁判も辞さないとする市民の突き上げや断食による抵抗、連日の要請行動など、予想以上に厳しい世論に恐れをなして、県連会長に泣きついたとのこと。

公明党のとりなし、「賛成」「反対」の2択から、「やむをえない」を加えての3択への妥協案を受けて新里県議会議長、特に全県実施に向けて玉城デニー知事が強力なリーダーシップを発揮したと、今日の辺野古の集会では、5市の市民代表から、さまざま裏話が披露された。

沖縄市では、市内、県内だけでなく県外からも投書や電話など1000件以上が寄せられたという。「市民が勝ち取った投票権」と誇らしげに報告。

ただ、3択にした「妥協」には、少なからず批判もある。それが投票結果や投票率にどう影響するのかは、ふたを開けてみなければわからないというのが正直なところではある。

若者代表の大学生からは「初めて辺野古へ来た。県民投票をめぐる騒動の中で関心が高まった。200年も続く新基地がつくられると、自分の子や孫の時代まで続くことに気が付いた」と。私のところへも県外の知人から「自民党は(県民投票をつぶそうとして)、むしろ墓穴を掘った」とメールが届いた。ホントにそのようだ。

今日の「土曜大行動集会」、1200人の熱い思いが滾った。

2019年2月2日リンクURL

日本国民の税金で、なんで米軍基地なの? ~ 水曜集中行動日の安和桟橋

今日(2月30日)も、中城湾に昇る大きな太陽のエネルギーに励まされながら安和に向かう。

8:00過ぎ、安和に到着すると、すでにトラックの赤土搬入は始まっていた。

息つく暇もなく、早速、桟橋のゲート前をひたすら歩き続ける。

赤信号でもお構いなく、強引に突っ込んでくるダンプ。

警察は、私たちは規制するが、信号無視のダンプには注意もしない。むしろ誘導して中に入れようとする。

私たちが納めた税金、使うべきは「福祉でしょ!教育費でしょ!」

横断歩道をゆっくり渡るのも、作戦の一つ。牛歩戦術が功を奏して、いつもの三分の一以下にダンプの数を減らした。一隻の運搬船にダンプ270台分の土砂が積めるそうだが、今日は午前中4時間でまだ120台しか入っていないので、運搬船が出港できない状態のままお昼時間を迎えた。

いつもより30分早くダンプが途切れたのでミニ集会が開かれた。

連日安和桟橋で過酷な抗議行動を頑張っている本部島ぐるみの皆さん。「いつもは少人数だが、今日のように大勢集まってくれると元気が出ます!」

沖縄市からやってくる彼女は92歳。毎日辺野古か安和に必ずいらっしゃる。「皆さんは私のことを、92歳になったとか100歳とかおっしゃるが、私はまだ60歳のつもり。あと30年は頑張れる。10年以上辺野古に通っているが、そのおかげでこの年になっても、身体は丈夫、どこも悪いところはない。悪いのは頭だけ(笑)私の目の黒いうちは、戦争に使う基地なんぞ、絶対に造らせない」と意気盛ん。

実際、私たちでも牛歩といえども6~7時間もあるき続けていると、へとへとになるが、彼女は平気な顔で、私たちと同じように歩き続けている。恐れ入りました。

お昼時間、バナナやサーターアンダギー、温かいぜんざいの差し入れがうれしい。

海を見ながらお弁当。辺野古ブルーは砂浜で作戦会議かな?今日はまだ運搬船が出港できないので、カヌーチームの本格的な出番はこれから。

午後もきっちり1時から抗議行動が始まった。

桟橋入り口に列をなすダンプトラック。

午前中の遅れを取り戻そうと、赤信号を強引に突っ込んでいくダンプ。積んでいるのは赤土だ。これを防衛局は「岩ズリ」だと詭弁を弄する。

東京から来た若者。「あべヤメロ音頭」という楽しい歌とパフォーマンスで人々を激励。右太郎さんというそうな。「名前は右でも、考えは左です」。

14:45、トラックの搬入が止まった。まだ運搬船は満杯になっていない。ついに今日は一隻も出港出来なかったか?

船は満杯にならなくても、出港する可能性もあるので、今度はカヌーチーム・辺野古ブルーが、船の錨にしがみついて出港を止めていた。海保に引きはがされ拘束されても、また頑張るカヌーチームに、陸からみんなで声援を送る。

15:30、那覇からのメンバーは、カヌーチームの頑張りを最後まで見届けることができないまま、バスで岐路に着いた。

(追記:カヌーメンバーが全員海保に拘束され、15:45分運搬船はやっと離岸し、辺野古へ向かったということです。この時間からの出港だと、辺野古での土砂の陸揚げは翌日になる)

2019年1月30日リンクURL