沖縄の皆さんと共に頑張っていきたい ~ 仏教者の方々が沖縄縦断平和行進

 今日も早朝の貸し切りバスで辺野古へ。沖縄も日の出前は肌寒い季節となった。ゲート前の座り込みは、夏の暑さも厳しいが、海風の強い沖縄は、天気予報よりも体感温度が低く、冬は冬でまた厳しい。もうすぐ2000日、今年もつらい冬を迎えるのかと先が思いやられる。

 今日は県外から参加の人たちも多かった。 

 関西弁のこの方は、「嘘つきは、安倍のはじまり」という言葉を紹介し、うやむやになっている森友問題の真実を明らかにするために、「佐川氏の国会証人喚問を!」求める署名活動を展開しているという。 

 先週の木、金、土、そして今週月曜日まで、令和天皇即位祝賀パレードの警備のためにかり出されて機動隊がいなかったため、辺野古の工事もストップした。警察権力の力を借りなければ、辺野古の工事が一歩も進まないことを、改めて証明した。

 機動隊が帰ってきて、またゲート前に座り込む人々との攻防再開となった。

 コンクリートミキサーの行列。この間、一般車両の通行は疎外される。

 反対方向の道路からは、巨大なコンクリートブロックや、建築資材を積んだダンプが入ってゆく。

 あらん限りの声を上げ、基地に向かって抗議を続ける。 

 この時期毎年、日本山妙法寺のお坊さんたちが信徒の方々と共に、沖縄縦断の平和行進を行っている。今年で15年になるという。明後日15日から一週間にわたって、北は辺戸岬から、南は摩文仁の平和公園まで、お祈りをしながら歩き通す。ありがたいことです。

 毎年平和行進においでになる代表の竹田師。「いまや沖縄だけでなく、日本中でオスプレイが飛び交い、米軍と自衛隊基地で軍事要塞化が進んでいる。いま止めなければ!沖縄の皆さんとともに頑張っていきたい」と決意を述べられた。

私は午後から別の日程があり、午前中で辺野古を後にした。

2019年11月13日リンクURL

県民はあきらめない!首里城も辺野古も ~ 辺野古集中行動日に1000人

 今日は毎月第一土曜日の集中行動日。このところ減りがちだった参加者が、今日は目標の1000人に戻った。

 久しぶりに辺野古で顔を合わせる私の友人も3~4人いた。その一人は「首里城のことがあったから、やっぱり辺野古頑張らなければ、と思って」と言った。あきらめ感が広がるかと思ったが、逆だった。首里城への思いを、辺野古に来る人たちと共有したかったのだろうか。

 集会で発言する人たちもみんな首里城の火災を話題にした。みんなに共通した言葉が「県民はあきらめない!首里城も辺野古も!  県民が心を一つにして頑張ろう!」

 ヘリ基地反対協の安次富浩さんは、「最低でも2兆5千5百億円と言われる辺野古新基地建設の費用を、首里城の復元に使えばすぐに再建できるではないか。そして、各地で自然災害で苦しむ人たちの復興に使えば、多くの国民が救われる」と、国民より米軍基地に血税を費やす国の愚に怒った。

 

 

 今日は令和の山本太郎さんが参加。「沖縄の魂の象徴である首里城の焼失に衝撃を受けている。県民、国民が力を合わせて首里城の再建も辺野古阻止も勝ち取ろう。

 それにはまず全野党がかたまりになって、政権をとる必要がある。かたまりになるだけではだめで、投票に行かない50%の国民に政治が自分の暮らしに直結している、自分事として実感してもらわなければならない。そのために具体的な提案をしたい。それは消費税を5%にすることを野党が一塊になって掲げ、政権をとる。そして辺野古を止めよう!」と。

 

 集会が始まる前に一緒に工事用ゲートに座り込んだ札幌の大学生5人が、名護市議の大城敬人さんから20数年にわたる辺野古の闘いについてレクチャーを受けていた。

 

 

やっと最高気温が30度を切るようになり、日中クーラーをかけなくても過ごせるようになった。辺野古テント前の花壇も花々が気持ちよさそうに風に揺れている。

やんばるの山では自生の芙蓉の花が満開だ。

 

2019年11月2日リンクURL

「負きてぇないびらんどー」ハワイのうちなぁんちゅからエール ~ 世界のうちなぁんちゅの日(10月30日)の辺野古

 辺野古ゲート前の抗議行動が、年内にも2000日を迎えようとしている。浜のテントでは24年という聞くだけでもため息が出るような長い時間である。

 台風や、先週の安和集中行動などでここ3週間、陸でも海でもほとんど作業が進んでいない。その分を取り戻そうということか、今週は、塩川でも安和でも、ここ辺野古ゲート前でも、大量の土砂や資材が強引に運ばれているとのこと。

 辺野古では、今日も早朝から60名ほどの人が座り込んだ。

 

 今日は、県外・海外から参加の人たちが多かった。

「平和のために闘っている沖縄の人たちの姿に感動した」と語るのは、インド東部にある都市インパール州から来たお二人。第二次世界大戦で、日本軍が無謀な侵攻作戦(日本兵ほぼ全滅。史上最悪の作戦と呼ばれる)を行ったインパール作戦で知られる。

 インパールはもともと独立王国で、インドとともに長くイギリスの植民地だった。イギリスが撤退した後、独立できると喜んだが、イギリス軍に代わってインド軍がやってきてインドに併合されてしまったという。その後もずっとインドに対する抵抗運動が続いていて、その闘いの歴史と独自の文化を後世につなぐため、今年6月に資料館ができた。二人はその資料館の関係者。

 日本の中の沖縄、インドの中のインパールはすごく歴史的状況が似ていて、資料館を作りにあたって沖縄の平和資料館や南風原文化センターも調査。南風原文化センターとは姉妹館として交流を深めている。

 インパールの伝統楽器の演奏を聞かせてくれた。穏やかでゆったりとした音色は、沖縄の古典音楽にも似て、心にしみた。

 続いてやってきたのは、ハワイのうちなーんちゅの皆さん(一行22名)。

 掲げている旗はハワイ王国時代の国旗、今もハワイの旗として使い続けているという。自らのルーツ・ウヤファーフジ(父母や先祖)の地(沖縄)を訪ね、歴史や文化を学ぶツアーを毎年行っているという。

 現在の沖縄県民よりうちなーんちゅらしいハワイのうちなーんちゅの皆さん、見事な沖縄の歌や踊りを生演奏で披露してくれた。奇しくもこの日10月30日は「世界のうちなぁんちゅの日」

 ハワイもかつては独立王国。米国に併合されてしまったが、原住民としての誇りは消えない。沖縄、ハワイ、インパール、大国に翻弄される島々(国々)の交流の中から明日への希望が見つかることを祈りたい。

 リーダーのエリックさんが、最後に大きな声で呼びかけた。「うちなぁんちゅ!負きてーないびらんどう!(沖縄人のみんな!屈してはなりませんよ!)」

2019年10月31日リンクURL