翁長・菅会談の会場を取り巻く県民1500人

菅官房長官と翁長知事の会談が行われる会場のホテルを
翁長知事にエールを送り、菅官房長官へ抗議する県民1500人が
怒りの声とともに取り囲んだ。

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「頑張れ!オナガ」コールの中、会談が行われる会場(那覇市内のホテル)へと向かう翁長知事を乗せた車。翁長知事は車のガラス窓を開け手を振って県民の激励に応えた。

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午前9時半からおよそ1時間にわたる会談を終え、会場のホテルを出る車から、県民の「頑張ろう!」コールに、拳を握って力強く応える翁長知事。

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菅官房長官は、これより少し前、県民の抗議の声を避けるように会場を後にした。

メディアの速報によると、

会談は、『翁長知事が「辺野古の新基地は建設できないと確信している」と強調。それに対し、菅官房長官は「粛々と進める」と繰り返すだけで平行線をたどった。翁長知事は「問答無用と感じる。上から目線の言葉であり、使うほど(県民の)怒りが増幅するのではないか」と批判した』と伝えている。

また、翁長知事は安倍総理との面談を強く求めたという。

 

2015年4月5日リンクURL

ヌースガ(何をする)官房長官!チャースガ(どうする)官房長官

菅官房長官、言うことに事欠いて、こともあろうに「辺野古反対派は少数」とか、 「選挙は他の争点もあるので、沖縄の民意は分からない」とかと、メディアに愚痴っているという。

何とでも言えばいい。
翁長知事との対面を前に、少しでも点数を稼いでおきたいのであろうが
言えば言うほど世論の採点は減点になっていることに、お気づきではないようだ。

「ヌースガ官房長官!チャースガ官房長官!」

沖縄の人でないとこのことばの絶妙なニュアンスは分かりにくいかもしれないが
今年の流行語大賞に!と、辺野古ゲート前では盛り上がってりる。

県が勝っている<沖縄タイムス 4月1日>

血がたぎるほど怒ってはいるが、
沖縄の県民も、マスコミも、国や政府に対する視線は、冷静ですぞ。

2015年4月4日リンクURL

70年目の慰霊祭~渡嘉敷島の「集団自決」 ⑤

その日、友人から「渡嘉敷の慰霊祭に行きたいという若い女性がいるので、案内してほしい」と頼まれた。

彼女・Gさんは、琉球大学をこの3月に卒業したばかりのドイツからの留学生。

渡嘉志久の浜辺で…

渡嘉志久の浜辺で…

「集団自決」の日本軍関与が争われた「大江、岩波裁判」が卒論のテーマだったという。

彼女は友人二人(日本人)を伴って渡嘉敷島にやってきた。

慰霊祭の前に、まず島の自然を味わってもらいながら、人々の暮らし、文化、歴史を大まかに話したうえで、いくつかの戦跡を案内、午後から一緒に慰霊祭に参加した。

 

後日、Gさんから、若者らしい瑞々しい感性でとらえた慰霊祭の感想をメールで頂いたので紹介したい。

Oさん。昨日は大変お世話になりました。一回も会ったことない私たち3人を港で出迎え、島を案内していただき、こころから感謝しています。
この記念日に初めて渡嘉敷島に行ったので、少し緊張しました。しかし、港に着いたらすぐOさんと会えて、私にとって渡嘉敷島は人間の顔をもつようになり、つながりを感じて、安心しました。

3月28日に行われた慰霊祭

3月28日に行われた慰霊祭

渡嘉敷島の様々なことと「集団自決」についてのお話は興味深かったです。「集団自決」の現場や「慰安所」があった場所をみて、地域の人は、たとえ70年経っていようとも、その出来事をけっして忘れることは出来ないだろう、と思いました。でも、こうした日本の歴史を否定しようとする人彼らを支持する人たちがいます。そいいう人たちこそ渡嘉敷島に足を運んでほしい、と後で3人で話しました。

慰霊祭に参列した中学生

慰霊祭に参列した中学生

 

 

慰霊祭での中学生の詩も大変感動しました。友人のOOはあとで、子どもたちは「意見の違う人を理解しよう、立場の違う人を認めよう」ということの大切さをわかっているのに、なぜ大人はこれを忘れているの?と問いました。

宮城千恵さんのスピーチも印象に残りました。「自分のおじいさんに会いかった」という気持ち、「会えない」辛さが伝わりました。なぜ会えないのか、なぜ亡くなったのか、という問いは遺族から離れない、重い遺産であると思いました。

2015032814280000私は子供のときから祖父母からナチスや戦争の体験を聞きました。渡嘉敷島の人とはもちろん血のつながりはありませんが、自分の家族の経験や国の暗い歴史を引継いでいる人は世界のどこであっても同じですし、そのような経験、過去を踏まえて「今」をどう生きるべきかを考え続けさせることでもあると思いました。強い連帯感を覚えました。

最後に、吉川さんとお話が出来る機会を作っていただき、ありがとうございます。渡嘉敷島の「慰安婦」のことや、吉川さんの「集団自決」の体験について貴重な資料を頂きました。

28日は色々考えさせられた日であったと同時に、美しい島に魅せられ、3人ともまた渡嘉敷島に行きたいという気持ちになりました。Oさんが自分の故郷を外から来ている人に開いたことに対して感謝しています。

慶良間海峡…70年前、この海を米軍の軍艦が埋め尽くした

慶良間海峡…70年前、この海を米軍の軍艦が埋め尽くした

最後に、
「集団自決」という表現は、「適切ではない」という主張がある。
「日本軍によって死に追い込まれたのであり、自ら死を選んだのではない。ましてや赤ん坊や子どもは自決などできない。「集団自決」に軍の関与はなかったとする側に、戦争美談として利用されている」として、「強制集団死」という表現が使われている。

「自決」が軍隊用語であることからも、その主張は全くその通りであると私も思う。
その主張を理解したうえで、「集団自決」は長年にわたって使われてきた表現であり、島の人々がいまも使い続けていることを尊重して、このブログでは「」付きで「集団自決」と表現していることをお断りしておきたい。

2015年4月4日リンクURL