山城博治さん、稲葉さん、添田さんの無罪を勝ち取る決起集会

20日水曜日は、辺野古の帰りのその足で、18:30から行われた「山城さん、稲葉さん、添田さんの無罪を勝ち取る決起集会に参加した。公判は20回ほど行われる予定で、この日が11回目、ちょうど折り返し点ということでの集会。

弁護団を代表して講演した三宅弁護士は「政府のほうが犯罪を犯している。裁かれるべきは政府。この裁判に負けるということは、日本の民主主義の死を意味する」と、この裁判の意義と重要性について語った。

山城さん、稲葉さん、添田さんもそれぞれ決意表明。
山城さんは「この裁判は、沖縄の反基地の闘いに対する弾圧以外の何ものでもない」と、いつものヒロジ節で力強く決意を述べた。

この日は偶然にも博治さんの65歳の誕生日ということで、会場の参加者150名がハッピイバースディを歌う中、花束が贈られた。

最後は仲間たちと、いつもゲート前で歌う唄を肩を組んで歌い「裁判勝利」を誓った。

2017年9月22日リンクURL

今日(9月20日)の辺野古~うたごえ響くゲート前

平和市民連絡会の水曜日早朝バスの出発時間が、6:30分になり(これまでは6:00出発)、身体も楽だし、集合場所までバスやモノレールで行けるので、タクシー代がかからず、ずいぶん助かる。他の皆さんも同じ感想を述べていた。

この日は、那覇で山城博治さんらの裁判があり、また高江でも行動呼びかけがあって、座り込みの人たちが分散されるため、辺野古ゲート前は人が少ないのではと心配されたが、9時には130名ほどになった。

機動隊の方も「今日は少ない」と見越したのか、8時過ぎにはトラックの動き始めたとの情報が入る。
9時過ぎのごぼう抜きを想定しながらも、ゲート前では、長崎から参加したうたごえグループの皆さんが、前回辺野古の座り込み経験から、作詞・作曲した「沖縄の叫び」という歌を披露して下さった。

♪ 辺野古の浜はなぜ白い サンゴが砕かれ散ったから

  辺野古の海はなぜ青い ジュゴンの泪が青いから

  ウチナンチューの眼はなぜ赤い 怒りの炎に焼けたから♪

♪ 真夜中シーサー目を覚まし くゎっと口開け叫びだす

  あらゆるものが目を覚まし 命の限りに叫び出す

  オール沖縄 声をあげ マジムン(魔物)退治に出発だ♪

一曲歌い終わったところで機動隊がやってきた。みんなごぼう抜きされて68台の砕石や工事資材をつんだダンプトラックが基地のなかへ入って行った。

68台のダンプの車列、このトラック全部が基地の中に入るまで、一般車両は通行止めを喰らう。この国道は片道一車線、追い越し禁止区間なので。

建築業者や運送業者のトラックだけでは足りないらしく、産業廃棄物運搬用のダンプまで駆り出されて、新基地建設は進められている。

ゴボウ抜きされた市民らは、基地のフェンスと警察車両、そして機動隊で囲まれた「檻」に放り込まれ、トラックが中に入り、荷を下ろして全部が出ていくまで、時には1時間近くも、閉じ込められる。炎天下であろうと、雨の中であろうと。

この日は午前9時過ぎと、12時過ぎ、午後3時と3回にわたって強制排除され、177台のトラックが中に入った。三回目は土砂降りの雨の中で座り込み、ずぶぬれになっての座り込みだった。

文子おばぁ(島袋文子さん)と、山城博治さんの手形入りTシャツを着ている方がいて、励まされた。「わした美ら海 戦さ場にしみてならん~美しい我らが海を戦場にさせてなるものか!」

メインゲート前テントでは、きれいな花が疲れたみんなを癒してくれる。花の手入れをしてくれる人がいて、毎年みごとな花を咲かせてくれる。

 

 

また、明日も頑張ろう!!!!!!

 

 

2017年9月21日リンクURL

終わらない戦後④ 沖縄のお年寄りを苦しめる沖縄戦の記憶「戦争トラウマ」~不眠、幻聴、フラッシュバック、パニック障害、うつ病、統合失調症~

40年以上も前に児童文学者・大川悦生さんから聞いた話が、忘れられない。
「沖縄戦の末期、艦砲射撃が炸裂する中を、背中に2歳の息子を負い、両の手に上の子二人を連れて南部の激戦地を逃げ惑う母親がいた。いつの間にか息をしなくなった背中の子を降ろし、道端にわずかに穴を掘って埋めた。我が子の死を悲しむ暇(いとま)さえなかった。「必ず迎えに来るからね」と声をかけ、埋めた場所の地形を目に焼きつけて立ち去った。

「戦争で受けた(辛い)思いを届けても心に受け止めることのできない政治は堕落だ」。辺野古ゲート前テント今月の琉歌(2016年6月)

戦争が終わり、捕虜収容所から解放されて真っ先に息子を埋めた場所に向かった。この辺と思う原野を次々掘り返したが見つからない。何日も何日も掘り続けた。誰が止めてもやめようとしない。いつしか心を病んでいた。
生きのびた二人の子どもが大人になり、母親のために広大な土地を買って家を建てた。母親は今も失った息子の名前を呼びながら庭の土を掘っている」。

<高い精神疾患率の正体>
沖縄の本土復帰前後の数年間、私は琉球政府・沖縄県庁の第二記者クラブに所属、厚生、教育などを担当していた。毎年発表される各種統計の中で、沖縄の精神疾患の罹患率が、全国に比べ突出して高い(2倍~3倍)ことがいつも問題になった。小さな島の中で近親結婚が多いことも原因ではないか、というのが関係者の間で定説になっていた。
後に、ベトナム帰還兵の過酷な戦場体験によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)が「戦争トラウマ」として認知されるようになったが、なぜかそれが「沖縄戦」に繋がることはなかった。
2004年から2012年まで、沖縄のメンタルクリニックで診療経験を持つ精神科医の蟻塚亮二氏は、クリニックを訪れる高齢の患者に、一般的な「うつ」や「統合失調症」の症状ではない「奇妙な不眠」があることに気づく。

「蟻塚亮二氏(精神科医)2004年から沖縄の病院に勤務。
原発事故後2013年より、福島県相馬市のメンタルクリニック院長。沖縄での診療経験を活かし、災害によるトラウマの診療に取り組んでいる」

それが何なのか診断がつかないまましばらくたったある日、「アウシュビッツ生還者の40年後の精神状態に関する論文」の中に、沖縄の高齢者の症状と特徴がとてもよく似た症例を発見する。それで思い切って患者に聞いてみた。「沖縄戦のときはどこにおられましたか?」すると、患者らは次々と過酷な戦争体験を語り出したという。

<花火が、赤い花が嫌い!>
3年前に90歳で亡くなった私の母は、沖縄の県花であるデイゴの花が「嫌い」と言った。真っ赤な花びらが地面に散り敷く様子が、戦場で見た戦死者の「血」をイメージさせるからだという。6月の慰霊の日が近づき、テレビや新聞で沖縄戦の報道が多くなると、夢でうなされ、夜中に何度も目を覚まし、頻繁に起こる頭痛に悩まされた。3・11の津波で瓦礫ヶ原となった被災地のテレビ映像に「イクサヌグトドアル(まるで戦場のようだ)」とつぶやいて目を伏せた。
辺野古ゲート前で座り込みの人たちに「文子おばぁ」と慕われる島袋文子さん(87歳)も聞くだけで胸をえぐられるような戦争体験の持ち主である。戦争当時文子さんは15歳。目の不自由な母親と5歳年下の弟を伴って戦場をさ迷った。身を隠していたガマが米軍に見つかり、投降に応じなかったため火炎放射器で焼かれた。炎から弟を庇うために自らは背中に大やけど負った。

おちゃめで笑顔の絶えない辺野古ゲート前での島袋文子さん。臆せずダンプの前にたちふさがり、機動隊にも動じない文子さんだけど…。

そんな文子さんに、先日躊躇しながら訊ねた。「今も戦争のときの夢を見ることがありますか?」と。「夢ではない。眠るとき思い出して寝付けない。毎日睡眠不足になる」「私の前を歩いていた人の首が爆弾で吹き飛び、その人はそれでも30メートルくらい歩いて、それから倒れた。赤ちゃんを負ぶっていた女の人に“あなたのお子さんは首がないですよ”と教えてあげたこともある。そんなことばかり見てきたんだから…」「飛行機の爆音や花火は大嫌い。戦場を思い出して心臓に響く。それで心臓が悪くなった。沖縄のお年寄りは、そういう人多いはずよ」。

<晩発性トラウマ>
戦争が終わって六十数年もたってなぜトラウマ症状が表れるのか?若いころは生きることに一生懸命で記憶の片隅に押し込めていた心の傷が、高齢になって暮らしや心にゆとりが出てきたところで表出する、蟻塚医師はそれを「晩発性トラウマ」と名付けた。医者も本人さえも気づかないまま、何十年も前の戦争の記憶が、沖縄のお年寄りたちを苦しめていた。

実弾で完全装した戦車が行き交う辺野古ゲート前。沖縄の米軍基地は常に世界の戦場と直結している

時間の経過とともに癒えるどころか、頻発する基地がらみの事件・事故、米軍機の爆音などが、傷口に塩を擦りつけるがごとくトラウマを増幅させている、と蟻塚医師は言う。沖縄戦の体験者にとって「戦争」は、まだ終わっていなかったのだ。

<トラウマを越えて>
それでも文子さんはいま、請われればどこへでも「戦争体験」を話に行く。先月も参議院の院内集会で500人、翌日の長野県佐久市では1千人の聴衆が集まったという。「戦争の話をするのは辛くないですか?」「講演の前後数日は余計に眠れなくなって、心臓もバクバクする。この前も主治医には止められたけど、今の人たちは本当の戦争がどんなものか知らないからまた平気で戦争をしようとしている。だから話さなければ。それが生き残った者の務めだから」
「戦争による心の傷」は深く複雑で、沖縄戦についてはまだ調査、検証、治療ともに緒に就いたばかり。医者でも研究者でもない私には「こんなこともある」という表面的なことしかお伝えできない。関心のある方は、ぜひ蟻塚氏他、専門家の書籍などで深めていただきたい。

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◇参考文献:蟻塚亮二著「沖縄戦と心の傷~トラウマ診療所の窓から」大月書店

2017年9月18日リンクURL