今年も3月28日がめぐり来た。
沖縄では33年忌が過ぎると死者の魂は昇華し、神となって天国へ帰るとして、すべての法事が終了する。
しかし、戦争で亡くなった方々の場合は別、その無念の死を語り継ぎ、平和の礎するために、33年忌が過ぎても村主催の慰霊祭が続けられている。
式辞を述べる松本好一村長。
涙で声が詰まる場面があり、この日の出来事への、特別な思いが察せられる。実は、松本村長は多くの村民が命を落とした「集団自決(強制集団死)」があった翌日29日に生まれた。
慶良間諸島の「集団自決」は、それから3か月間にわたって繰り広げられた沖縄戦の序幕に過ぎなかった。
生まれたばかりの赤子を抱えた母親が、地獄のような沖縄戦を潜り抜け、すべてを失いゼロからの出発を強いられた戦後を、どのように生きぬいてきたのか、そんな母親への思いが胸に去来したかもしれないと想像する。
戦争を知る世代、体験を共有する遺族はもう数少なく、高齢化がすすむ。「来年は参拝に来れるかねぇ」と、誰にいうともなく寂しそうに語る。
ひ孫の世代、小中学生によって千羽づるが捧げられた。
当時、校長として渡嘉敷島に赴任し、夫妻ともに「「集団自決」に巻き込まれた方の遺族が作詞・作曲した歌「命どぅ宝」が披露された。
島は新緑の季節を迎え、慰霊碑・白玉の塔の周りは、島の花でもある「ケラマつつじ」が、燃えるような赤い花を咲かせている。
シャリンバイも香り高く満開だった。