今日の辺野古ゲート前は多彩な人々で話題豊富な、そして熱い暑い一日だった。
朝9時の搬入、若者や県外、アメリカからの参加者も混じって、いつもとは少し雰囲気の違うスタート。
お二人はアメリカから、全米に200以上の支部を持ち、8万人の会員がを持つ社会主義者のグループ。人権や差別、貧困、パレスチナの問題など、アメリカの戦争マシンをどう止めるかという闘いをしているという。「辺野古に基地をつくるのはアメリカ帝国主義の仕業。辺野古の問題をどうアメリカに伝えるていくかを模索している」。
黒いおひげの人は、バーレンの出身。「いまから20年以上前、バーレンの美しい湾を埋め立てて米軍基地が作られた。人々は反対して闘ったが基地はつくられてしまった。基地が出来たことで、山は崩され、土地、空気が汚れて悪臭が漂い、エアコンをつけてもすぐに目詰まりして止まってしまう。砂浜を両手ですくうと、貝やエビがいくらでもとれた自然豊かな湾の30年後の姿である。失ったものをとり戻すことは難しい。一生懸命やったが、もっと闘って止めるべきだったと悔やむ。
今日、皆さんと一緒に座り込んで、こうして闘い続ける人たちがいるとことを知り、とても勇気づけられた。辺野古の闘いは沖縄だけの闘いではない。世界中の平和の闘いと繋がっている。闘い続けることは決して楽なことではないが、次の世代、子どもや孫たちの世代のために是非闘い続けてもらいたい。共に闘いましょう」。
まるで辺野古の30年後の話を聞いているかのようだった。
今日2回目の座り込み。映画やネットで沖縄の状況を配信し続ける若者。数年前、辺野古に来たことがきっかけて、沖縄で起きていることが県外ではほとんど伝わらないことに衝撃を受け、こんな理不尽なことがあってはならないと、沖縄に移住。映像で沖縄を伝え続けている。
3000と678日。決して短い日々ではない。10年後も、私たちはここに座り込んでいるのだろうか?改めて看板を見つめ直す今日の辺野古。