チリ地震大津波の記憶 を語る ~ 4月10日の辺野古

 暖かくなるにつれ、日に日に夜明けが早くなる。毎週水曜日、早朝に自宅を出る身にはありがたい。

 旧暦はまだ3月になったばかりで、一日のうちでも、春と初夏の間を行ったり来たり。少し体を動かすと汗をかき、木蔭に入れば半袖では肌寒くなる。季節の変わりは服装の調整に苦心する。

 津波騒動から一週間たった水曜日の辺野古。往きのバスの中でも、その日のそれぞれの行動が話題になった。

 1960年(S35年)5月24日早朝に北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に来襲したチリ地震による津波は、各地に大きな被害を与えた。現在のようなネットによる情報網もなく、体感する地震もなかったことから、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちであったといわれる。

 沖縄でも中北部の東海岸に大きな津波が押し寄せた。この日一回目の座り込みで、当時の体験を、辺野古在住の島袋文子さんが語った。

「黒々とした大きな波が押し寄せてくるのが見えたので、隣近所の方々も誘って高台に避難した。

 やってきた来た波はあまり大したことはなく引いたが、しばらくして今度は家の屋根を越える波が襲って来た。それが何度も繰り返し、2~3日続いた。二見の集落は津波に呑みこまれ、最初の波が引いた後、自宅に帰ったり、荷物を取りに戻った人たちがいて犠牲になった」文子さんは、そのときの恐怖を語りながら「津波は、一度引いたからと言って、すぐに家に戻ってはいけない。何度もやってくる」と、繰り返し強調した。 

 そのような危険な場所に新たな米軍基地をつくろうとしているのが、辺野古新基地建設である。地震・津波だけでなく、軟弱地盤や活断層もある大浦湾は、飛行場や弾薬庫など作れるような場所ではない。フクシマの原発のように、地震や津波の被害をさらに何倍にも拡大、災害を誘因する役割を果たす。そのような危険な基地建設は、いまからでも遅くない即刻中止すべきだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日も機動隊が座り込む人々を強制的に排除して、工事車両による建設資材の搬入が3回行われた。午後から私の友人たちもを含め、県外・海外からの参加者も予定されていたが、私は別日程があり、正午前に辺野古を後にした。

 テント横の花壇では、ここ数日の恵みの雨と、暖かい日差しを受けて、セキドウサクラソウが気持ちよさそうに咲いていた。

 

 

2024年4月11日リンクURL