映画「福田村事件」  

 29日(月)は、映画「福田村事件」を観に、沖縄市まで出かけた。桜坂劇場での上映を知りつつ日程が合わず見逃してしまい気になっていたので、友人から「沖縄市のシアタードーナツで31日まで上映している」と情報があり、入っていた他の予定を返上して、すっ飛んで行った。 

 100年前の関東大震災時に起こった、「朝鮮人虐殺」については多くの人が知るところだが、関連して起こった「福田村事件」についてはあまり知られていないという。私もその一人だった。

 [あらすじ]今から100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災から6日後のこと。千葉県東葛飾郡福田村で、香川県から訪れた薬売りの行商団16人のうち、幼児や妊婦を含む9人が、福田村の自警団や退役軍人会を含む村人100人に惨殺された。行商団は、岐阜弁で話していたことで、朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。しかも偶然なのか、行商団は被差別部落の人々だった。

 

 観終わって、ただただ辛かった。肩、首筋はガチガチ、胃が痛み、観終わってしばらく立ち上がれなかった。(このブログを書きながらも胃が痛い)「朝鮮人が襲ってくる、井戸に毒を投げ込んだ」という流言飛語による不安と恐怖が集団心理となり、人々をここまで残忍にするのか。その根底に朝鮮人に対する「差別」意識が潜んでいる。

 この映画は、事件後100年もの間、歴史の闇に隠蔽されて来た事件を、しかも加害の側から描いて明るみに引き出した。しかも「朝鮮人差別」と「部落差別」という二大タブーに真正面から取り組んだとして評価されている。関東大震災では沖縄県出身者も、言葉の訛りから朝鮮人と疑われ殺害されたと言われているが、さすがそこまでは描かれていない。

 私は、映画を観ながら、渡嘉敷島の「集団自決」に思いが飛んだ。沖縄戦当時、日本軍が、特殊特攻艇作戦という軍事機密を守るために、島の住民の三分の一(3百数十人)を虐殺(自決に追い込んだ)した事件である。そこには沖縄人に対する差別が根底にある。その構図は、戦後80年近くが経っても、今も少しも変わらず「南西諸島の軍事要塞化」に繋がっている。

 映画「福田村事件」の監督はじめスタッフの皆さんには、是非事件のその後を描いた第二弾をつくっていただきたいと願う。ここでいま詳しく語る余裕はないが、渡嘉敷島の集団自決は、加害者も被害者も戦後を生きるのがさらに大変だった。そこを明かにすることが、事件が起こったことの根源を明かにすることではないかと思うからである。

 

 

 

2024年1月30日リンクURL