戦争準備 もはや沖縄だけの問題ではない ~ 嵐のなかで座り込み 11月12日の辺野古

 台風と熱帯低気圧の影響で前日から激しい雨が降り続き、名護、国頭地方に大雨・洪水警報が出される中での座り込み。濡れた足元から冷えが全身に広がっていく。

 

 大分県の日出生台からやって来た男性、「西日本一の演習場がある。驚いたことに米軍のオスプレイがミサイルを運んできて積み降ろしの訓練をした。さらに日本中の自衛隊基地を結んで、訓練を重ねている。オスプレイもミサイルも、もはや沖縄だけの問題ではない」

 

大阪枚方市から来た女性グループ。かつて日本軍基地があり、様々な問題を起こしたところが自衛隊基地となり、戦前を彷彿とさせている。

 やはり弾薬庫があり、ミサイルも装備された。日本中で戦争の足音が聞こえ始めている。沖縄だけでなく、日本中がもう新たな戦前だ。連携して声をあげるために、沖縄にやって来た」

                                    

雨も風も強い中、資材搬入中止との情報もあったが、防衛局は何時も通りの搬入を強行した。

 こんな悪天候の中で進められる公共工事が他にあるだろうか。事故を起こす懸念はないのだろうか?

 激しい雨にカメラのレンズも霞む。

 

 前日からの雨で、辺野古工事のために削り取られた山肌から赤土が流れ出し、近くの海は痛々しく濁っていた。

 

 

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平良良松市長の憲法手帳全文

 

 かつて那覇市に平良良松という名市長がいた。1972年5月15日・沖縄復帰のその日、沖縄県憲法普及協議会が発行した憲法手帳の序文が、今も新しい。

 辺野古ゲート前では、いろいろな情報や資料がもらえる。このチラシも辺野古でいただいたもの。1972年の沖縄の状況が垣間見えるが、いま読んでも少しも古く感じない。復帰から50年余も経つというのに少しも変わらぬ、いやますますひどくなる「沖縄」に胸かきむしられる思いがする。

 自維政権によって、再び改憲の動きが息を吹き返した。さらなる戦争への危機が高まる。それは絶対に許してはならない。先人の闘いに学ぼう。

 

※ 平良良松:1968年、那覇市長選に沖縄社会大衆党から立候補し初当選。沖縄返還を経て、1984年まで4期市長を務める。市長在任中は沖縄革新の代表的な一人として米軍基地の撤去を主張し続けたほか、1972年の12月から1073年2月まで間、自衛隊員の住民登録申請の受付を停止する措置を取った。

 

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秋雨にも、風の寒さにも負けず! ~ 11月5日の辺野古

 辺野古へ行く日は早朝6時過ぎには自宅を出る。今日は日中雨の予報。昨夜は深夜にかなり降ったようで、そのせいかこの秋はじめて薄暗く、肌寒さを感じる一日の始まりとなった。

 辺野古へ着くと、テント横の花壇で、熟れた月桃の実が色鮮やかで、元気をくれた。

 雨がちらつく中での一回目の座り込みは20名足らず、高齢者の多い平日の行動は、大きく天気に左右される。今日那覇からのバス第一便も、いつもの常連メンバーが二人も体調を崩して不参加だった。

 

 今日はやたらと米軍の戦闘車両がメインゲートを出入りしている。どこかで演習でもしているのだろうか?

 正午前、2回目の座り込みは、那覇から二台目のバスも到着して人数がふえた。北海道からやって来た男性は、農業をしているため、冬場の農閑期に入るこの季節に、毎年3カ月ほど辺野古に滞在しているとか。なかなかできることではない。頭が下がる。

 

 3回目は座り込みの途中から雨が降り出した。

 今日も米軍基地にまつわる記事が、新聞紙面を賑わす。

 県議会で審議調整中のPFSAに関する国への意見書を、野党自民党が、事前に防衛局に意見を求め、添削していたことが発覚したとのこと。意見する相手に対して、事前に文書調整を求めたという、何とも情けない話。

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