ウチナァー、クルサッテーナイビランドー(沖縄 殺されてはいけませんよ! ~ 今日(3月3日)の辺野古

 県独自の緊急事態宣言の解除に伴い、辺野古の組織的抗議行動が再開されたので、今日は久しぶりにバスで辺野古へ向かう。

 

 

 

 

 

 途中、伊芸サービスエリアの植栽に、満開になったツツジが色鮮やかで目に痛いほど。この花たちのように、今日一日が清々しく穏やかでありますようにと願う。

 

 9:00前、第一回目の座り込み。今日は、安和桟橋と塩川港の抗議行動が、海のしけで中止になったため、糸満島ぐるみ、北部地区労など、安和・塩川に行く予定の皆さんも辺野古に合流。一回目から40人余が座り込んだ。

 県民よ 立ち上がろう。二度と血の雨を降らさせない!島袋文子さんの車いすに立てられているのぼり。

 抗議行動の人数が多いと見込んだのか、今日は機動隊の数もやたらと多い。

 今日の機動隊は、どうも気が短いようだ。出てくるなりすぐには排除を始めた。ゆっくり移動していると、「早く!」と背中を押して急かす。指揮官はスピーカーの声を張り上げ、命令口調で怒鳴り続けている。

 コロナ感染対策のため、「自主的に立ち上がって移動するので、身体に触れる強制排除はしないで!」と機動隊にも申し入れ、これまではお互いの立場を尊重しつつ、節度を持って対応してきたはずだった。今日は指揮官はじめ機動隊員が、威圧的で強権的だ。 

 搬入の工事車両が途切れ、私たちがゲート前をデモ行進する間も、民間警備員と挟み撃ちのように威圧的な規制をした。

 緊急事態宣言中は、 マイクを使っての発言を控え、休憩時間の集会も自粛していたが、今日から参加者同士の近況報告、活動報告なども再開した。

 今日は県外からの参加も2~3人あり、「コロナ禍で2回、3回予定を変更せざるを得ず、やっと来れました!」という。

 糸満島ぐるみのメンバーからは、いま問題になっている南部地域からの遺骨交じりの土砂採集への取り組みが報告された。

 戦没者の遺骨収集は国の責任と謳った”沖縄遺骨収集推進法”が制定されたのはわずか数年前の2016年、それまでは具志堅さんたち民間ボランティアが行ってきた。今回の戦跡地での土砂採集は、その法律の精神に反する。国内唯一の”戦跡国定公園”の破壊にもつながる。

 また、一帯は沖縄平和祈念公園公園で、当時の太田昌秀知事が、北部の山に決まっていた全国植樹祭を、戦争で丸裸になった南部の戦跡地にすべきと変更誘致し、そこがみどり豊かな平和公園になったもの。植樹祭の精神にも反する。農業用地まで手続きもなしで開発しようとしていた。

 魂魄の塔近くの熊野鉱山は、その名の示す通り和歌山県にある企業。辺野古利権にあやかろうとする県外企業だ。沖縄は再び殺されてはならない。辺野古の海を埋める土砂のすべてを宮古、八重山を含めて沖縄全土から調達、その60%を南部地域から採掘するという。沖縄の山野の地形を変えるほどに破壊してまで、辺野古基地を造らないといけないのか!沖縄は、また、殺される!うちなぁ、殺さってーないびらんどー!

 <触らないで!!>

 2回目、3回目の座り込みに機動隊はさらに強権的になり、小さなことにもいちいち目くじらを立てた。市民の側も普段は発言もなくおとなしい人たちまでが、口々に抗議の声をあげたため機動隊の指揮官と双方で言い合う形となり、現場は騒然となった。市民側のリーダーが「中隊長!話し合いましょう」と言っても聞く耳を持たない。興奮する指揮官に、別の機動隊員が制止しようとする場面もあり、あきれて市民の側からその場を引き揚げてきた。この混乱おかげでいつもより帰るのが30分も遅れてしまった。

   

 

 

 

 

 テントに戻る途中のメインゲートに戦闘服の米兵が3人、ゲートの両脇で機関銃を構え警戒していた。基地の中で何かあったのだろうか?

 基地のそばではいつも、戦争を彷彿とさせるきな臭い場面に出会う。朝の花々への祈り・願いは叶わなかった。

 

 

 

 

 

2021年3月4日リンクURL