辺野古抵抗の歌 ⑥~山城博治讃歌

辺野古ゲート前の監視・座り込み行動は
山城博治さんのリーダーシップがなければ、ここまで続き・広がらなかったかもしれない。その強い意志と人間味あふれる人柄は、対峙する機動隊さえも一目も二目も置くほどの存在です。

当初からゲート前行動を指揮してきた山城さんが、病気療養のためやむなく現場を離れてからも、「こんなとき、山城さんならどうしただろう」とみんなが考え行動する羅針盤になっていました。

「秋には病気を治して戻ってきます」、その言葉通り現場復帰も近いとの知らせが届いたゲート前に「山城博治讃歌」が高らかに響きます。

山城博治讃歌を唄う  ISOさん

山城博治讃歌を唄う ISOさん

山城博治讃歌
作詞・曲・歌:ISO

1、山城博治 われらのリーダー
正義を貫く 熱い人
機動隊にはめっぽう強いが 若い女子にゃ ピーヒャララ
山城博治 ゲート前が似合う男(やつ)

2、山城博治 辺野古のヒーロー
ウチナーの未来を背負う無精ひげの人
平和を語れば誰にも負けぬが 歌のセンスはピーヒャララ
山城博治 ハンドマイクが似合う男(やつ)

3、山城博治 ヤンバルの星
辺野古から世界を変える人
愛と勇気に心は光るが 踊りのリズムは ピーヒャララ
山城博治 シュプレヒコールが似合う男(やつ)

 

、14日 沖縄タイムス>

14日 沖縄タイムス>

2015年8月16日リンクURL

また米軍ヘリ墜落~翁長知事VS菅官房長官会談直前に

第一報は「辺野古沖に米軍ヘリ墜落」だった。
情報が錯そうし、具体的なことがわからないまま県民は不安と怒りの中で苛立った。

皮肉なことに、翁長知事と菅官房長官の第一回会談の直前だった。
政府にとっては最悪のタイミング。

奇しくも翌日は、2004年に沖縄国際大学にヘリが墜落した日だ。
県民は誰もがあの日の悪夢を呼び覚まされた。
基地の島がいかに危険であるか、再認識させられる出来事だ。

しかも事故機には、自衛隊員が同乗していて怪我をしたという。
安保法案がまだ成立していないのに、すでに実態は先行して日米軍が共同訓練をしていることが明らかになった。

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

<13日 沖縄タイムス>

2015年8月13日リンクURL

全国戦災史実調査~沖縄戦の被害は無視

沖縄に住んでいると、ときどき「 ここは日本だろうか?」と思わされることがある。
まさにこれもその一つ。

2007年~09年、総務省が行った去る大戦の戦災史実調査に、沖縄戦の被害は対象にしなかったという。全国の中に沖縄は入っていない。それはなぜかと、県議の仲村未央氏(社民党護憲)が以前から問題にし、追及している。

「理由はわからない」
「空襲の被害調査であり、沖縄戦は地上戦だから…」とか
いつものことながら詭弁を弄する国の答えは、誰が聞いても納得できるものではない。

去る大戦で唯一の地上戦が繰り広げられ、原爆の長崎・広島と共に
最大の被害をこうむっている「沖縄」を除いて
どうして戦災被害の実態が把握できるというのだろうか?

こんなことをしてどんな意味があるのか?理解に苦しむ。

戦災調査 沖縄戦関知せず

 

<12日 琉球新報より>

2015年8月12日リンクURL