ゆし豆腐つくりました!

沖縄県民のソウルフードの一つ・ゆし豆腐
豆腐を固めるまえのゆるゆるの状態でいただく、心にも身体にも優しい沖縄の郷土食。

京都では「おぼろ豆腐」というようです。

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12月のある日のこと、地域活動の一環でゆし豆腐づくりを指導している親戚のおばさんがいらして
「繁多川の公民館祭りで、ゆし豆腐作るから、遊びがてらいらっしゃい」と誘っていただいた。

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かつては豆腐は冠婚葬祭のときに、家庭でつくるものでしたけどね。

なぜか山羊さんの一家もいて…。
(今年は羊年、ベトナムでは山羊年だそうです)

まずは、前の晩から水につけふやかしておいた大豆を、昔ながらの石臼で挽きます。

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上手!上手!
私も、子どもの頃、祖母と向かい合って大豆を挽いたことを思い出してちょっぴりホロリ!

できた豆汁を布袋に入れてこします。木綿の袋だと木綿豆腐、絹だと絹豆腐。沖縄では基本的に木綿豆腐です。

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この作業は結構力のいる仕事でした。二度こしするのがなめらかでおいしいゆし豆腐を作るコツだそう。

こし袋に残った絞り粕がオカラ、絞り汁が豆乳(生)です。

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二度こしした豆乳を大なべに入れて中火で煮る。

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豆乳が温まりグツグツいってきたら弱火にして、しばらく(3分ほど)したら火を止め、水に溶かしたニガリを、撒くようにいっきに入れ、軽くかき混ぜると、豆乳が固まってきます。

DVC00091.JPGゆし豆腐の出来上がりです。

これを木枠にいれて水分を抜くと豆腐になります。

因みに、豆腐を固めるのに、いまどきはニガリを使いますが、かつては海水でつくったものです。  もし、近くできれいな海水が手に入るなら、そのほうが絶対に美味しい。お試しを。(自然な優しい塩味が何とも言えない美味しさです)

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お椀によそったゆし豆腐にお塩で味をつけ、刻んだネギちらして、おイモと一緒にいただきます。

この日は、公民館まつりとあって、訪れた150人ほどの人たちにゆし豆腐がふるまわれました。

<おからクッキー>

<おからクッキー>

残ったオカラは、もちろん卯の花にしたり、オカラ入りケーキやクッキーにと、捨てるところはありません。

親戚の叔母さんから、家庭でも簡単にできる「ゆし豆腐づくりセット」を頂戴しました。こし袋、ニガリ、作り方マニュアル、ご丁寧に大豆までついています。

家庭でつくるには、上記の手順のうち石臼で挽くところを、ミキサーにかえるだけ。意外と簡単にできます。

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ところで、このゆし豆腐作り、先人の暮しの知恵を後世に伝える活動として、各地域で結構行われているものですが
でも、繁多川公民館のゆし豆腐づくりは、ただのゆし豆腐ではありませんでした。

沖縄在来種の大豆「オオヒグー」を種から植えて収穫し、ゆし豆腐をつくっているのです。

市販の大豆と比べるとかなり小粒のオオヒグー

<市販の大豆と比べるとかなり小粒のオオヒグー〉

ただ、普通の大豆より小粒で、収穫量も少ないので、まるまるオオヒグーだけでゆし豆腐を作るほどには生産されていないと言うことです。

「オオヒグー友の会」の皆さんが各家庭で作った豆を少しずつ持ち寄り、市販の大豆に一割ほど混ぜてゆし豆腐を作っています。

市販の大豆だけのゆし豆腐と、オオヒグーを入れたゆし豆腐の味比べをさせて頂きましたが、 うん!確かに味が濃い、というか深い感じがしましたね。

そういえば、繁多川は昔から美味しい豆腐の産地として有名な地域です。その秘密はこのオオヒグーだったんですね。

在来種「種」を守り育てていくことは、とても大事なことです。食べ物は地産地消、身土不二が原則なのに、今はそれが難しい変な時代になっていますよね。私も種を分けていただいたので植えてみたいと思います。収穫できたら一部お返しするのが友の会のルールだそうです。収穫できるといいなぁ。さぁ!モンサントに挑戦だ!!

鍋の豆乳が煮立つまでの間を利用して、「オオヒグー友の会」のおばあちゃんたちと、保育園の子どもたちが一緒に「ゆし豆腐音頭」を踊る場面もありました。

ゆし豆腐音頭だよ♪

ゆし豆腐音頭だよ♪

 

なんだか心がほっくりしたのは、暖かいゆし豆腐のせいだけではないですね。
いい一日でした。

2015年1月20日リンクURL

高江・辺野古バスツアー 番外編 ~共同売店で

<名護湾の朝焼け> 今日も何かいいことありそう!

<名護湾の朝焼け>
今日も何かいいことありそう!

 

高江から辺野古へ向かう途中

高江の共同売店でトイレ休憩をとらせてもらいました。

朝8時に名護を出発して高江まで1時間余り。
さらに座り込みテントで2時間近く過ごしたので、生理現象の我慢も、そろそろ限界。高江の共同売店「山の駅」につくと、40人がいっせいにバスを降りていきました。

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その際、私が、「大勢がお手洗いを使わせていただくので、できればお礼のつもりで、何か買い物をしてくださるとうれしいです」と皆さんにお願いしたので、バスに戻るとき、ほとんどの人がレジ袋を下げて乗ってきました。

その中の一人が袋いっぱいのミカン(タルガヨーという名の地元の特産)をニコニコしながら持ち上げて「売店のおじさんにもらった」というのです。

私たちの様子が、いかにも「それ」だったのでしょう。
売店のおじさんが「座り込みのテントに行ったのかい」と聞くので
「そうです」と答えたら、「ごくろうさん」と言ってミカンをくださったのだそうです。

みんなで美味しくいただきました。ありがとうございます。

米軍のヘリパット建設に反対して、毎日監視・座り込みをすることはできなくても、「基地の拡充・強化は嫌だ!」という住民の気持ちは同じなのだとわかります。

この共同売店、かつて陸の孤島と称される交通の便が悪い僻地や離島などに生まれた沖縄独特の運営システムを持つ「お店」なのです。

行政や民間業者の運営ではなく、地域の住民たちが資金を出し合って自立的につくられました。ですから基本的にはこの集落で暮らす人すべてが株主であり、オーナーなのです。

 

30年ほど前までは、全県で600店もあったそうですが、今では60店舗まで減ってしまいました。
第一号店の国頭村奥の共同売店は、100年の歴史を持っています。

何でもそろっています

何でもそろっています

 

 

 

 

 

 

 

 

お店としては、小さなコンビニ程度の大きさですが、
人々が使う日常品は、お米からネジ一本まで、ほとんどここで揃います。

単に売店というだけでなく、地域コミュニティの拠り所として親しまれています。

2014年12月11日リンクURL

ジャンボ・オクラ

 ジャンボオクラという種類の「オクラ」があるわけではありません。
一週間ほど留守をしている間に
育ちすぎてジャンボになってしまった実家の庭のオクラたちのことです。

左端の小さいのが普通サイズのオクラ

左端の小さいのが普通サイズのオクラ

私の手のひらの二倍はある

私の手のひらの二倍はある

 

 

 

 

 

 

 

 

この中で大きいのは23センチ。
中でも大きいのを持って帰った妹によれば、
一番大きいのは26センチもあったそうな。

「食べれた?固くなかった?」と聞くと
「なんだか怖くて、料理する気にならない」とのこと。
それでは私が!と、今日収穫した中から1~2本試食してみました。

大丈夫!確かに少々筋が感じられるがまだ種も柔らかく
充分に美味しい。

半畳ほどのオクラ畑

半畳ほどのオクラ畑

「庭のオクラ」というと、なんだかかっこいいのですが、実は母が住んでいたマンションの部屋が一階にあり10坪ほど専用で使える庭が付いていて、
ゴーヤー、パパイヤ、グアバなどの他、ニガナ、ヨモギ、ニラ、ネギ、サクナ、アロエ、ハンダマ(スイゼンジナ)、サクナ(長命草)など、20種以上の食せる植物の恩恵を受けています。

オクラの花

オクラの花

 

 

 

 

 オクラは母が入院してから植えたので
実ったオクラを食べることなく母は逝ってしまいました。
間もなく母の百か日の法要。
「ちょっと育ちすぎだけど…」と言い訳しつつ、
テンプラにして仏前にお供えしようと妹たちと話しています。

<追記>
オクラたちの名誉のために言っておきますが
育ちすぎたのは「オクラ」が悪いわけではありません。
タイミングよく収穫するのを怠った私たち人間のせいです。

2014年9月23日リンクURL