札幌冬紀行

11月の末
今年一番の冷え込みだという札幌に降り立った。

飛行機の窓から眺める北の大地は
まばゆいばかりの白一色。
七年ぶりの北海道だった。

汽車の窓から

一ヶ月以上も前のことを今さらという声も聞こえそうだけど

どうして伝えたいことがある。

 

それは、アイヌの人たちのこと。

北海道へ行った主な目的とは別に、

案内して下さる方があって、アイヌの歴史・文化資料館である

ピリカコタン(アイヌ文化交流センター)を訪れる機会をいただいた。

コタン(アイヌの村)が再現されている

アイヌ語で家のことは「チセ」という

 

 

 

 

 

 

 

 

博物館には、かつてアイヌの人たちが使っていた生活用品などが

見事に復元され展示されていた。

独特の模様が刺繍やパッチワークで表現された衣装

鮭の皮で作られた服

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白樺の樹皮で編まれたバッグ

赤ちゃんをあやすゆりかご

 

 

 

これらの展示品は

アイヌ協会のみなさんが、すべて手作りで復元制作したという。

北海道開拓の名の下に和人によって

先住民であるアイヌの人たちの暮らしや文化が奪われていった歴史も語られている。

 

アイヌ民族に対して、未だに続く搾取と差別の現場にも立ち会った。

それは、「先祖の遺骨を返して!」と

3人のアイヌの人が、北海道大学を訴えた裁判の第一回公判を傍聴する機会を得たのだ。

 

いまだにこんなことがあるのだと

知らなかったことが、正直恥ずかしかった。

 

 

 

翌日、北海道新聞は

この裁判のことを、小さい記事で次のように伝えた。

 

北と南の端っこで、ともに受難の歴史を刻むアイヌと沖縄

共通するのは、問題の根底に差別の構造が横たわっていること、

常に、踏みつける側は、踏みつけられる側の痛みを知ろうとはしない。

 

 

2012年12月31日リンクURL

女性たちが怒りの抗議集会~沖縄防衛局長暴言

辺野古新基地建設NO
日本政府にレッドカード!

DVC00027.JPG

<女性集会 抗議決議文>

内閣総理大臣 官房長官 防衛大臣 外務大臣 沖縄担当大臣 内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当大臣)アメリカ大統領

 

前沖縄防衛局長の県民および女性に対する侮辱発言に抗議し、政府の真の謝罪として

辺野古新基地建設の撤回を求めます!

 11月28日夜、辺野古新基地建設への環境影響評価書の提出時期を問われた田中聡前沖縄防衛局長が、「犯す前に犯しますよと言いますか」、と発言しました。環境影響評価書を提出する沖縄県を女性に例え、その女性の意思と自己決定権を奪い支配する性暴力を肯定した暴言です。政府は、不適切発言であると前沖縄防衛局長を「更迭」し、一日遅れの野田首相の謝罪、防衛省事務次官の沖縄県知事への謝罪、さらに12月2日には防衛大臣自身の県民、女性への「謝罪」を県知事に表明しました。

 

しかし、2009年8月以降の新政権も前政権同様に米国政府の圧力の前に、県民総意で明確に示す反対の意思をねじ伏せ、辺野古新基地建設を強行しようとしています。前沖縄防衛局長の発言は、政府の長年にわたる沖縄への強引な基地建設の押しつけの姿勢そのものを見事なまでに言い表しています。

沖縄県民、女性への謝罪を示したかに見える政府の行動は、沖縄への差別的本質を必死で隠蔽しようとするものでしかありません。「謝罪」の言葉を発し、表面的には「県民のご理解を求める」と繰り返しても、舌の根も乾かない内に“環境影響評価書の年内提出は予定通りである”と繰り返しているからです。

加えて、立て続けに起こる沖縄に対する不適切な発言と沖縄に対する無理解な発言をした一川防衛大臣を任命した野田総理の責任が問われています。

 

アジア太平洋戦争末期の米軍の沖縄上陸以来今日まで、止むことのない米兵による性暴力及び、基地あるが故の事故、事件、爆音や環境破壊が起こり続けています。そこには、生後9カ月の乳児からお年寄りまで、年齢、場所、時間を問わず武器を持ち歩く米軍兵士の残忍極まりない性暴力に心身ともに傷つき、あるいは惨殺された数多くの県民の存在がありました。

施政権返還後も、日本政府による第一次裁判権の放棄という「密約」や対米従属の「日米地位協定」が、犯罪者を罰することなく野放しにし、沖縄県民に多大な犠牲を強いています。

よって前沖縄防衛局長の県民および女性に対する侮辱発言に抗議し、政府の真の謝罪として、辺野古新基地建設の撤回を求めます。

 

 2011年12月7日

 沖縄侮辱発言と米軍基地の押し付けを許さない女性たちの抗議集会

 

 

 

2011年12月8日リンクURL

脱原発ウォーク

 

 

 9月24日、プラカード持って国際通りを歩きました。

  

ウォークの先頭を切ったのは

子連れの若いお母さんたち。

放射能から逃れて、福島や、埼玉、東京から避難してきた家族です。

 

 

「パパに会いた~い !」

「おばあちゃんに会いた~い !」

「おじいちゃんに会いた~い!」

「家族で一緒に暮らしたいよ~!」

 

                                                                                             

  

 

「故郷に帰りた~い!」

「でも、放射能があるから帰れな~い!」 

「二重世帯の暮らしは苦しいよ~!」

 

 

 

 

   そんな切実な声が

夕暮れのメインストリートに響きました。

 

 「原発いらな~い!」

「基地もいらな~い!」

「福島を返して!」

「東北を返して!」

「沖縄を返して!」

「ニッポンを返して!」

 

 

 少し寂しかったのは

脱原発ウォークに参加している人々よりも

歩道を闊歩している観光客の数のほうが

多かったことです。

                                                                                                                                                                                                                                                     

2011年9月29日リンクURL