今日(3月13日)の辺野古~若者たち

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辺野古・シュワブ・ゲート前の座り込みは
3月13日の昨日・250日を迎えた。

 

海上では、ボートやカヌーによる市民(辺野古ブルー)の必死の抗議をよそに、海保に守られて、埋め立て工事のための海底掘削作業が
続けられているようだ。

あのやぐらの下で海が悲鳴をあげている

あのやぐらの下で海が悲鳴をあげている

ゲート前の座り込みのメンバーも、
海の見える第三ゲートに移動して、海保の高速ボートに追い掛け回されているカヌーチームに「頑張れ!」と声援を送った。

 

ゲート前のテントは今日も200人ほどの人たちが
最高気温22度の日差しをブルーシートでしのぎながら座り込む。

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この日は、さしずめ若者デーだった。
彼女は東京からやって来て、一週間テントに泊まり込みながらカヌーチームに加わった。
時折涙ぐみながら、沖縄に降りかかる理不尽に憤る。DVC00313.JPG

「辺野古でたくさんのことを学び、たくさん考えました」という彼は
神奈川から。毎月のようにやってくる。

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「僕にできることは何かを考えた。辺野古の闘いを歌にしたので聞いてください」と自作の歌を披露してくれた福岡の学生。

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彼は沖縄出身で東京の芸大で学ぶ。優しい歌声でみんなの気持ちを和ませ、アンコールの声に応えて3曲歌った。

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いつものシュプレヒコールも、若者がリードすれば、ラップ調に。
中高年もノリノリでデモ行進。

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最後は、ゲート前で一人ひとりマイクを握ってアピール。
それぞれが、自分の言葉で思いを語った。

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向かい合う警察官や基地の中の米兵、軍雇用の警備員に
「あなたたちも、私たちも同じ人間」と、魂が震えるようなメッセージ。心からの叫び、その真剣さが、基地のなかの人たちにもきっと伝わったはず。

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彼らは、グループではない。北は北海道から南は沖縄まで、ここ辺野古でたまたま同じ時に居合わせて知り合った。
こんなすてきな若者たちがいるのだ。日本の将来もまだまだ捨てたものではない。そう思ったのは私だけではなかったようです。

2015年3月14日リンクURL

辺野古 掘削再開

政府・沖縄防衛局は、知事選への影響を恐れて中断していた
新基地建設工事に向けての海底ボーリング調査を、12日午前、半年ぶりに再開した。

琉球新報(12日)

琉球新報(12日)

 

「前知事による埋め立て承認の検証結果が出るまで、工事を見合わせるように」との翁長知事の要求を無視しての強行である。

調査再開 ②

2015年3月13日リンクURL

いま地球にいらないもの~原発と基地・軍隊

この地球上には人間がその欲望のために造り出した不要なもの、
というより害毒を及ぼすものがたくさんある。

いま、その筆頭は原発と基地・軍隊ではないだろうか。

原発は、フクシマの人たちから故郷を奪った。
放射能汚染でいつ故郷に帰れるのかわからないまま避難生活を送る人たちが、まだ何万人もいるというのに
原発再稼働、原発輸出のトップセールスマンを嬉々としてつとめるこの国の代表者。

米軍基地は、沖縄の人たちから故郷を奪った。
戦争が終わって捕虜収容所から戻ったら故郷の家や畑、先祖の墓さえも金網で囲われて立ち入ることができなかった。

それでも故郷の地に花は咲く

それでも故郷の地に花は咲く

以来70年、いまだに故郷は金網の中。その典型的な例が普天間基地である。

だから沖縄の人たちには、原発で故郷を失ったフクシマの人たちの気持ちが、胸に響くように伝わってくる。

今朝の琉球新報の社説は言う。
「ドイツのメルケル首相は東京都内での講演で、
ドイツが22年までの「脱原発」を決めた理由を「技術水準の高い日本でも予期しない事故が起こり得ると分かったからだ」と述べた。
大地震も津波もないドイツだが国民の安全を考え、原発推進から脱原発に転換したのである。

 「フクシマの教訓」をメルケル首相は生かし、安倍政権は何ら学んでいないと言わざるを得ない」

現在、沖縄には福島からの人たちを中心に、900人近い震災避難者が住む。
沖縄県は、この3月で期限切れとなる震災避難者支援(住宅の提供や公共交通機関の割引など)を
4月以降も続けると発表した。
帰還者への旅費援助も引き続き、一人当たり4万円を上限に支援するという。

4年目の3.11に思う。
いま自分にできることは何か!改めて考えたい。

3・11 Coccoさん

<3月11日、琉球新報>

2015年3月11日リンクURL