ベトナムの旅 ④~奨学金支給式に立ち会う ㊤

前置きが長くなってしまいましたが
ここからが、今回の「ベトナムの旅」の本題です。

「アレンネ・ルソン基金」と「沖縄青葉奨学会」の一行8人がベトナムを訪れたのは、アレンさんが残した奨学金をベトナムの子供たちに手渡す支給式に参加するためでした。

ベトナム現地で奨学金の事務局を担っているのは、19年前からベトナム青葉奨学会の事務局も運営している「ドンズー日本語学校」です。

そのドンズー日本語学校のホームページに、今回の支給式の様子が掲載されていますので、翻訳を加え(翻訳:村田光司氏)転載で紹介します。

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アレン・ネルソン奨学金は、かつてベトナム戦争に従軍したことのある元米兵、アレン・ネルソンの名前を冠して、日本で発足したプログラムである。

この基金は、貧困な境遇の中でも、向学心を持って頑張っているクアンナム省の生徒たちを、いくらかでも支援することを目的としている。

2013年11月24日、高里鈴代代表をはじめ、日本から来た8名のメンバーやドンズー日本語学校ダナン校の職員を含む15名の一行は、クアンナムを訪ねた。

一行は、クアンナム省奨学会を通して、クエソン郡やタムキー市の困難な境遇にある小学生112名と交流し、奨学金を手渡した。

朝6時ちょうどにダナンを出発した。最初の目的地はタムキー市である。

ここで一行は、現在タムキー市内の小学校に通っている、貧困な境遇の中で頑張っている子どもたち62名に、それぞれ50万ドンの奨学金を手渡した。

アレン・ネルソン基金の代表は、文化交流プログラムを行い、贈り物をプレゼントした。その中で、「子どもたちの将来のために、平和を大切にしましょう」と呼びかけた。

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タムキー市を離れ、一行は午後1時にクエソン郡の教育訓練局を訪ねた。この地域の14の小学校に通っている、困難な境遇の中で頑張っている50人の生徒たちと交流し、奨学金を手渡した。

これは、子どもたちが困難を乗り越えて勉強に励むように激励する、深い人道的な贈り物である。

この場で、クエソン郡奨学会会長であるチャン・ゴック・ズー氏は、アレン・ネルソン基金とドンズー日本語学校が、クエソン郡の貧困な生徒たちがよく勉強できるようにこれまで支援を続けてきたことに対して、深い感謝の意を表明した。

同時に、子どもたちが両親や学校の先生、支援してくれる人たちの期待を裏切らないように、これからも困難にめげずに頑張って勉強することを望んでいると話した。

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最後に、一行は、クエソン郡の地域で特に困難な境遇にある、先ほど奨学金を受け取ったばかりの一人の生徒の家を訪ねた。

母子5人の家族が、支援で建てられた家で暮らしている。父親は亡くなっている。

一行は家族と話をし、困難を乗り越えられるように励ました。同時に、これからも支援を続けられるように希望した。

2014年1月21日リンクURL

辺野古NO~四度民意は示される~名護市長選

注目の名護市町選挙は
一貫して「陸にも海にも新しい基地は作らせない」と主張してきた
現職の稲嶺すすむ氏が大差で勝利した。

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これで「昨年暮れ辺野古埋め立てを承認した仲井間沖縄県知事の
「140万県民を代表して…」のセリフがいかに独善的で政治的な発言だったかが証明された。

圧倒的多数の県民が「辺野古移設に反対」を表明しているなか、政府・自民党と結託して県民を裏切る行為を犯した仲井間知事は
改めて県民に謝罪するとともに、埋立て承認を即刻撤回するべきである。

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国は、稲嶺市長の一期目当選(四年前)のあと、名護市に対する交付金を差し止めているが、選挙戦のさなか、石破自民党幹事長は辺野古埋立てを推進する自民党候補の応援演説の中で
「名護市に500億円の基金を創設する」とぶち上げ、名護市民をアメで釣り上げようとしたが「どこまで沖縄県民を愚弄するのか!」と逆に大きな反発をかった。

交付金も500億円も、石破幹事長の懐から出るわけではない。国民の税金からまかなわれるのだ。それを「政府にたてつく市長には出さないが、言うとおりにしてくれる市長には、さらに500億円あげるよ」などと非民主的なことを、国のお偉いさんが堂々と発言して恥じない、それが悲しいかないまの我が国・日本である。

 

記者会見より稲嶺市長

記者会見より稲嶺市長

稲嶺市長は基地問題だけでなく、一期4年間の行政運営で優れた行政手腕が、市民に評価された。

国から基地関連の交付金を凍結されたにも関わらず、市の税収を25%もアップさせ、一方、保育所の就園児数を560名増やし、待機児童をゼロに、保育料も二人目半額、三人目からは無料を実現。学校給食では児童三人目から無料、児童の医療費を中学卒業まで無料など、教育・福祉行政を充実させ、基地に頼らなくても財政運営が立派にやっていけることを証明したことも大きい。

 

2014年1月20日リンクURL

ベトナムの旅 ③ アレン・ネルソンさんのこと㊦

<謝罪の言葉をもってベトナムに戻る>
こういう見出しで、2005年6月2日のベトナムの新聞「ティエンフォン」紙に
アレン・ネルソンさんのことが掲載されています。
アレンさんの人柄がよくわかる記事ですので紹介します。

先月末ダナンに寄港した日本のピースボートの一団の中に、目にするものほとんどすべてをカメラで記録している、大柄で物静かな黒人男性がいた。

彼はすべてを、詳細かつ丁寧に記録していた。時々、彼は首を回して、ひそかに涙を拭っているように見えた。その人はアレン・ネルソン氏。
1966年6月にダナンに上陸した、元米海兵隊員である。その時、アレン・ネルソン氏は18歳になったばかりだった

枯葉剤の被害~ベトナム戦争資料館の展示より

枯葉剤の被害~ベトナム戦争資料館の展示より

ダナンの人々と会って、アレン・ネルソン氏は声を詰まらせて話した。
「39年前、私は罪を犯すために、最新の兵器を積んだ戦艦でベトナムに来ました。
いま、私たちはベトナムの方々に謝罪の言葉を伝えるために、ピースボートに乗ってこの国に戻ってきました。
私たちは、米政府がベトナムの方々に謝罪すること、彼らが皆さんの国で引き起こした戦争の被害に賠償することを、要求しています」

この57歳の元兵士は、彼が参加した非道な戦争の重い傷跡を、身体に留めている。
アメリカに戻ったあと、彼は仕事も家もなく、「ベトナム戦争後遺症」と呼ばれる病気に苦しめられた。
18年もの治療を経て、彼はようやく自らが引き起こした罪悪についての妄想を、克服することができた。

日本に渡って、アレン・ネルソン夫妻は積極的に平和活動に加わるようになった。
彼は、ベトナムや世界各地をピースボートで訪ね、平和を訴えていることを語った。
この行程の中で、夫妻はベトナムの枯れ葉剤被害者支援のために、1000ドルを寄付した。

アレン・ネルソン氏の妻、ワカ・クバイシさんは、ベトナム枯れ葉剤被害者協会副会長のグエン・チョン・ニャン教授に、アメリカの戦争がベトナムの被害者に残した惨禍についての写真や資料を紹介され、深く心を打たれていた。
とくに、ダイオキシンに侵された被害者の写真を見て、バグダッド医科大学(イラク)の女性教授は、いっそう心を動かされた。

彼女は、枯れ葉剤についてベトナムで得た情報をイラクに持ち帰り、自身の国でいま起きている類似の問題の解決に役立てるという。

大学で学生たちに戦争の実相を語るアレンさん

大学で学生たちに戦争の実相を語るアレンさん

ワカ・クバイシさんの息子、ファディ・サミさんは言う。
「枯れ葉剤被害者の写真を直視するのは、あまりにも胸が痛んで、とても大変でした。
イラクで戦争の後に皮膚がんや他の病気を患っている多くの人たちの写真と、変わりありません」

この地球上の良心のある人なら誰でも、ベトナムの枯れ葉剤被害者から感じたことについて、決して無関心でいることはできない。
彼らはいま、被害者やその親戚の人たちが背負わされている苦しみが少しでも軽くなるように、可能なことすべてを努力して取り組んでいる。

2014年1月19日リンクURL