K8護岸使用は違法 ~ 今日(6月12日)の辺野古

沖縄防衛局は、昨日からK8護岸からの埋めて土砂(赤土)の陸揚げを開始、今日も引き続き作業を強行した。

自らが沖縄県に提出した工事の設計概要さえ違え、護岸(しかも未完成の)を桟橋として使うという法律違反のやりたい放題。県の行政指導にも「何も問題はない」と無視。

この国は、いつからこのような無法地帯と化してしまったのか。

違法に違法を重ね工事を強行する国への怒りが炸裂した今日の辺野古ゲート前。

8:30、座り込みがスタートした。

ヘリ基地反対協の安次富浩代表。「先日秋田県では、迎撃ミサイルの配備候補地選びの設計図にミスがあったとして、防衛省が平身低頭お詫び。それでも秋田県知事は激怒して、配備計画が白紙に戻るかもしれないという。一方、沖縄では度重なる違法に、知事を先頭にいくら県民が抗議し、反対しても釈明すらしようとしない。この違いはなんだ!」

坐りこんで間もなく、機動隊による排除が始まった。

その様子を、大阪からの修学旅行生(中学生35人)たちが、道路向かい側で真剣な眼差しで見つめていた。

列を成すセメントを積み込んだミキサー車。これが一日に何往復もして辺野古の海をセメントで塗りつぶしていく。

昼食の休憩時間、平和を求める退役軍人の会(VFP)沖縄支部長のダグラス・ラミスさんが、「来月三日、ワシントンDCでVFPが、米政府の軍事施設担当者と辺野古のことで話し合うことになった。軟弱地盤のことについて知っているか?こんな危険なところを本当に米軍の基地として使うつもりなのか?日本政府の情報は信用できないので、米軍は自分たちでちゃんと調査すべきではないか、と訴える。米側の返事が興味深い」。

北海道から初めて参加した男性は、エレキギターで「沖縄を返せ」を一生懸命練習してきた」という。エレキに合わせてみんなで唄った。

島袋文子さんから提案。「玉城デニー知事が全国キャラバンを始めたというが、知事一人だけではなく、県民もたくさん一緒に行って、全国にアピールしないと盛り上がらない。そういう運動を起こそう!」

駐車場にはこんな車も停まっていた。「負けてはいけませんよ~」。ゲート前では、花を植え、一生懸命育てている人もいる。

今日も情熱的な赤い色の花(ハイビスカスではない)が、私たちを励ましてくれた。

 

 

2019年6月12日リンクURL

税金は米軍基地にではなく 明日を担う子どもたちのために ~ 今日(6月5日)の辺野古

今週から安和桟橋の抗議行動が毎日行われることになり、平和市民連絡会の担当日は金曜日に変更、水曜日のバスは辺野古へ行くことになった。

 水曜日の辺野古は半年ぶりである。8:30の座り込み開始時は、少数精鋭の十数人でスタート。

一回目の機動隊による排除が始まる9時過ぎには、二十数名に増えていた。

とはいえ、数に勝る機動隊にたちまち十数分で排除されてしまい、70台余のミキサー車や資材を積んだトラックが、基地の中へ。

 

 相変わらず過積載のダンプが目立つ。

ダンプの侵入が一段落するたびに、ゲート前をデモ行進。11時近くまでこの繰り返しで抗議行動が続いた。

一方、積み荷を降ろしたダンプが基地から出るのを遅らせるために、私たちの仲間の車がゲート前をのろのろ運転する「ゴーゴードライブ作戦」を展開。向こうが力で来るなら、こちらもあの手この手で抵抗する。

昼休みは、テントの下に戻って県外から参加した方々の報告を聞いた。

 お二人は九州から。二年ほど前から辺野古へ来るようになったが、周囲の人たちにはとても話るような状況ではなかった。最近、一人の友人に思い切って話したら、「あら、私の息子も何度も行ってるわよ」と言われ、近所の人にそれとなく「辺野古へ行ってきた」というと「いいわね。私も行きたい」と言ってくれたので誘ってきた。沖縄の闘いは、意外と広まっていると感じた。これからは周囲の人たちにできるだけ話をして、沖縄に関心をもってもらおうと思う、と。

 辺野古のことが気になっても、年寄りには何もできないと思っていた。ニュースで90歳のしわくちゃの老人も座り込んでいるのを見て、自分もできることがあるかもしれない、と思った。

 しかし、年金生活の身には沖縄行きは厳しい。嘆いていたら、息子が飛行機のチケットをプレゼントしてくれた。加えて友人たちがホテル代をカンパで集めてくれた。今日は沖縄の皆さんと一緒に行動出来てうれしい。

皆さんの話を来ている間も、目の前をこんな迷彩色の米軍車両が頻繁に行き来する。いやでもここは世界の戦争に直結している「基地」なのだ、と思い知らされる。

休憩時間も休まず、道行く人や車に「新基地反対」「違法工事は止めろ!」をアピールする。

12時過ぎから二度目の座り込み。抗議の人数も増えたがそれでも20分ほどで排除されてしまう。

イスにしがみついていたら、イスごと運ばれちゃった。ちょっと楽チン。

運ばれている最中に体調を崩す人も出る。仮病か、本当に気分が悪いのか、どう対応していいかわからない機動隊の若者たち。

 午後の休憩のときに、韓国から平和学習でやってきた学生たちが、韓国の民衆運動の歌と踊りを披露してくれた。

ご夫婦で消費者運動をしているというお二人。辺野古は初めて「皆さんが毅然と座り込み、時には楽しく歌を歌い、静かに抵抗している姿に涙がでた。平和運動とはこのように淡々と地道に長く続けることで実るのだと学んだ」

「長年保育園に勤めている。いま保育園に入れない子どもたちがたくさんいる。保育園を一つ作るのに2億円かかるというのでなかなか増えない。なのに、ここでは米軍基地を造るのに、こんなに無駄なお金が使われている。そんなお金があるなら、未来を担う子どもたちにこそ使うべきだ」

三度目の座り込み。また人数は減ったが、めげずに座り込む。

 

 15:30、すべての車両が入り終わり、今日の抗議行動を締めくくった。

まだ梅雨が明けない沖縄。雨の予報だったが、カンカン照りで、背中を汗が滝のように流れる暑い、そして熱い一日だった。

 

 

2019年6月6日リンクURL