友とするに悪き者

 兼好法師の「徒然草」に
友だちとしてふさわしくない人として
七つの「悪き者」が挙げられている。

 

 その三つめに「病なく身強き人」とある。
つまり「健康な人」は、友だちにするには良くない、と言うのである。

 

 高校の古典の授業でこの文章に出くわしたとき
随分戸惑った。

 

 私は、すこぶる健康体で
定年するまで40年間、一度も病気で休んだことがないと
このブログにも書いたが

 

実は高校卒業のときにも
小、中、高校12年間、無遅刻、無欠席で表彰されたことがある。
子どもとしては、病気をしないことが
自慢ではあっても、「悪き者」とされるとは
思いもよらなかったのだ。

 

 兼行法師が、健康な人はいい友だちになれないと言ったのは
「病気をした経験がないので、病人の気持ちが解らない」というのが
理由である。

 

 確かにもっともだと思い、乙女心は悩んだ。
と、いうのは転校が多かったせいもあり、
当時(高校2年生)私には、本当に親友といえる友だちがいなかったからである。

 

「きっと、人の痛みを知らない、鼻持ちならない人間だったかも知れない」と

反省した。

だからといって

病気には、なろうと思ってなれるものではない。

一生懸命に想像力を働かせて、推し量ってみるしかないのだ。

 

しかし、所詮私は私、人の身になるには限界があった。

以来、健康であることが引け目になった。

障がいのある人を避けたり、必要以上に親切にしたり。

 

これは、若きころの苦い思い出だが、

それはいまも尾を引いているかも知れない。

 

 人一倍、健康に関することに興味があるのは

そのせいであろう、と自己分析している。

 

 
 

人んちのだけど、美味しそうなパパイヤ

 

 

 

 

2011年8月31日リンクURL

月下美人の花が咲きました

 
 
 
 

月下美人

 

 その名のとおり
月の光を待つかのように
夜遅くに、花を開きます。

 

照明が足りなくて、花の美しさが半分も捉え切れていません。
透き通って、清らかで、神秘的な美しさです。

  

翌朝には、静かに花びらを閉じてしまいます。

 

2011年8月29日リンクURL

シーサー?マイ シーサーコレクション①

 

交通安全シーサー

 ガジュマルの木のシーサーです。

わが住み処の、すぐ近くの道路脇に鎮座しています。

仕事に行くにしても、何にしても

毎日この前を行き来しているわけですが、
うかつにも私はこれがシーサーとは

長い間(たぶん10年以上)、気がつきませんでした。

 

一本のガジュマルの木を丸ごと使っているので 、

つまりかなり大きいので

私の目線からは、ただの木としか捉えられなかったのでしょう。

 

 ある日、信号待ちの間に、ふっと空を見あげ

目線を戻す途中で、傍らのガジュマルの木が

シーサーの姿をしていることに気がつきました。

 

ビックリしたなぁ、もう!

 

シーサーの背中に回ると

  「交通安全」の看板がありました

 

 

2011年8月27日リンクURL