2千人が結集~島ぐるみ会議結成大会

「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の結成大会が、27日普天間基地のある宜野湾市民会館で開かれ、会場からあふれる出る2000人をこえる県民が集まりました。

27日付 琉球新報よろ

27日付 琉球新報より

昨年一月、普天間基地の県内移設断念などを求めて県内全市町村長、議会議長、県議らが署名し、安倍首相に手渡した「建白書」の理念実現に向け、全県民の再結集を訴えるための島ぐるみ会議の結成です。

この間に自民党系の県出身国会議員や自民党県連が、国の圧力に屈し、辺野古埋め立てに変節、昨年末には仲井真知事が辺野古埋め立てを承認するなどの経緯のなかで、あらためて新しい基地の建設を許さないために、県民の再結集を呼びかけました。

これまでの保守、革新の立場をこえ、元自民党議員や、保守政界を支えてきた経済界の大物たちが呼びかけ人の共同代表に名前を連ねていることが特徴です。

琉球新報(27日)

11月の県知事選挙を前に、できるだけ既成事実を重ね、辺野古埋め立てを後戻りできないようにするため、埋め立て作業前倒しして、強引に推し進めている国に対して、改めて沖縄県民の「新基地許さない」との強い意思を証明した「島ぐるみ会議結成大会」となりました。

組織的な動員などいっさいない中で、これだけの人々が集まり、超満員となったことで、参加者の間からは「勇気が湧いてきた」と決意を新たにする声が多く聞かれました。

 

 個人的な事情で、2か月以上ブログの更新が滞っていました。  その間、特に6月は沖縄から発信しなければならない情報もたくさんあったのですが、お届けできなくて残念です。個人的事情はまだしばらく続きますが、これ以上の停滞はいつも読んで下さる皆さまにだけでなく、自分自身にたいしても許されそうにもないので、少しずつでも、活動を再開して行きたいと思っています。

 ご心配下さった皆さまにお詫びと、心からの感謝を申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

2014年7月30日リンクURL

キャロライン・ケネディ様 ~私と一緒に辺野古の海で泳いでみませんか!

かつて沖縄に住み、海洋学者として沖縄のサンゴを研究してきたキャサリン・ミュージックさんが、ケネディ駐日米大使に「辺野古の海のサンゴを守るために手を貸してください」と手紙で訴えました。

彼女が沖縄に住んでいたころ、仕事で出会い、親しくさせてもらった一人として、とてもうれしい報道です。               新聞記事では一部しか紹介されていない手紙の翻訳を、私も会員である沖縄生物多様性ネットワークのMLから、全文紹介します。

キャサリン

    <辺野古・大浦湾のサンゴ群>

キャロライン・ケネディ様

私がこの長い手紙を書いたのは、沖縄本島北東部の大浦湾(辺野古)にある素晴らしいサンゴ礁生態系を日米の軍備増強計画がもたらす破壊から守るよう、あなたのご助力を嘆願するためです。

私は過去11年間(1981年~1988年と2007年~2011年)沖縄に住み、海洋生物学者として働いてきました。そして北は奄美大島や喜界島から、南は与那国島まで、琉球列島全域の海に潜ってきました。この経験から私は、大浦湾の美しいサンゴ礁に匹敵するサンゴ礁生態系は他に残っていないことを保証します。何ということでしょうか!
(あきさみよー!)このサンゴ礁が今も生き残っていることは、本当に奇跡といってよいでしょう。ここではサンゴの病気や白化が見られないのです!ここのサンゴ礁は、太平洋からカリブ海まで世界中のサンゴ礁を襲い破壊し続けている様々な問題を回避しているのです。(世界中のサンゴ礁が死滅しつつあり、現存するサンゴ礁が非常に貴重なものであることを、あなたも痛感されているでしょう。)

大浦湾は独自の素晴らしい生態系を有しています。ここにはマングローブ、川、蟹たちの住む砂浜、パッチ状に広がる浅瀬のサンゴ礁(私の専門とする青サンゴや赤いいそばなが繁茂しています)があります。また、絶滅の危惧されるジュゴンは言うまでもなく、日本に生息するクマノミ全種が生息しており、浅瀬に無数の海草が群をなしています。中でも最も素晴らしいのが、「珊瑚博物館」と呼ばれるより深いところにあるサンゴ礁で、数えきれないほどの華麗なサンゴが集合しています。私は昨年この海に潜り、驚嘆しました。7回のダイブで見た限り、ここのサンゴの全てが生きていました。私はまるで自分が子供の頃―全てがまだ生き生きとして申し分なかった60年前―に戻ったような気がしました。

私は、海洋生物を愛する立場からこの手紙を書いています。沖縄本島に残る最後の素晴らしいサンゴ礁を守るために、私と沖縄の人々に手を貸してくださいませんか?

大浦湾に残る素晴らしいサンゴ礁をご自分の目でご覧になるために、一度(お望みなら何回か)私と一緒にこの海に潜ってみませんか。あなたは、最近の初の沖縄訪問の際に、ヘリコプターで上空から大浦湾を視察されたのかもしれません。でも二度目は、私と一緒にこの海で泳いでみませんか?時期は今年の6月か9月がよいでしょう。(どちらかはご自由にお選びください。ただ、梅雨の季節や台風、観光客の多い時期は避けなければなりませんから、6月の方がよいと思います。)比較的安全な30フィート(約9メートル)の深さまで一度か二度潜れば、あなたはこの海のサンゴの美しさと重要性を確信されるでしょう。その素晴らしさを目にした後では、決してそれが消滅することを許容できないはずです。もちろん、この訪問を非公式にすることをお望みでしたら、訪問中メディアを遠ざけておくことができます。その代わり、沖縄の人々がこのサンゴ礁生態系を守るための手助けをしていただくことだけが、私の望みです。普天間基地を辺野古に移設するという決定を覆すことは、危急の課題なのです。

2015年には破壊(移設工事)が始まることになっており、残された時間は限られています。これほどに美しく、本来の姿を保ったサンゴ礁が破壊されることは、決して起きてはならないことです。

2011年、福島でのメルトダウンの直後に、私は沖縄からカウアイ島に移ってきました。当時も今も、日本の状況は非常に深刻だと強く感じています。そうでなければ私は今も沖縄にいたでしょう。私は沖縄を愛しています。先述したように以前長く住んでいましたし、一度離れた後も、死ぬまで住むつもりで戻ってきたのです。私は沖縄の人々の礼儀正しさや共同体意識が好きです。でもアメリカ人として、口をつぐんでいることができませんでした。

私は選択を迫られていました。そして2011年の4月、差し迫った辺野古への移設計画に対して沈黙しないことを決意しました。去年の夏(2013年7月)には、沖縄環境ネットワークの要請を受けて、ここカウアイ島から沖縄を再訪しました”
。大浦湾に潜り、保護のために力を貸すように頼まれたのです。沖縄訪問の際、私は移設計画に勇気を持って反対する名護市の市長にお会いしました。また、名護市の図書館と那覇市の県立博物館で講演を行い、何度かテレビや新聞に取り上げられました。すべては大浦湾のサンゴ礁生態系の素晴らしさを伝えるためでした。

キャロライン様、もし私が信頼できる人間であることを保証する推薦状が必要でしたら、ぜひ天皇陛下にお尋ねください。沖縄に住んでいた時、私は光栄にも何度か皇居を訪れ、天皇陛下と皇后陛下にお目にかかりました。天皇陛下は海洋生物を研究されています。陛下のご専門のハゼ類がよく私の専門の八放サンゴの枝に住み着くので、私は陛下のご研究のためにハゼを捕獲して差し上げました。また、当時私は「日本産魚類大図鑑(Fishes
of the Japanese Archipelago)」という本の英文編集を行っていたので、お会いしたときは非常に専門的なお話をしました。

今回、私が書いた2冊の児童書(そのうちの一冊「エリセラさんご」の後ろから2ページ目に、陛下のご専門のハゼが載っているのをご覧ください!)と履歴書を同封しました。私が海洋生物を愛する気持ちからこの手紙を書いていることを保証します。アメリカと日本の政府による攻撃から、現存する最後の素晴らしいサンゴ礁生態系を守ろうとする沖縄の人々を助けてください。私の証明書は完全で、動機は純粋です。私は強い意志と熱意を持っており、決してあきらめません。そして十分な知識を持っています。

最後に、あなたにハワイ王朝最後の女王リリウオカラニの言葉をお送りします。彼女は優れた音楽家、政治家、作家であり、博愛主義者でしたが、その思いはアメリカ政府によって完全に打ち砕かれました。女王は、アメリカによる侵略からハワイの人々を守ることができなかったのです。

彼女は1887年に粛々とした調子で書いています。「失敗を恐れて行動しなくなることが決してないように。柔軟性が低く、偏狭で、偏見を持っている人はこの世の王国を失うでしょう。逆に柔軟性がありすぎ、あまりに多くの悪いことを許容し、自分では全く判断しない人も同様です。(その中間の道を歩むのは)、剃刀の刃の上、そしてピリ(アカヒゲガヤ)の葉の細い縁に立つようなものです。」

親愛なるキャロライン様、あなたや私同様、リリウオカラニ女王は強い女性でした。ですから私はここであなたと彼女の言葉を共有し、この試みを前進させるための力を得たいと思います。あなたがリリウオカラニ女王と同じくらい勇敢で強い人であると分かることを望んでいます。

どうか私たちを助けてください。あなたにはそれができるはずです。力を合わせれば、私たちはきっと打ち勝つことができるでしょう。
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2014年5月8日リンクURL

うりずん~若夏

国内唯一の亜熱帯気候を有する沖縄は
冬からいきなり夏になり、夏からいきなり冬になったりと
季節の変化があまり感じられないと思いがちですが

月桃の花

月桃の花

なんの!なんの!わが先達は少ない変化の中で
いや!変化が少ないからこそ、
自然のなかに小さな季節の移ろいを見つけて
暮らしの中に文化を生み出してきたのではないかと
このごろしきりと感じるようになりました。

「うりずん」、春から夏に向かう季節区分を
沖縄の先人たちは、春→うりずん→若夏→夏、と表現し
しかも、若夏と夏の間にさらに梅雨が重なります。
梅雨の期間もまた、いくつもの季節の言葉のグラデーションがあるのです。

「うりずん」は麦穂が出る旧暦2~3月ごろ
「若夏」は稲穂が出始める旧暦4から5月ごろと、ものの本には書いてあります。

テッポウユリ

テッポウユリ

ちょうど「うりずん」から「若夏」へ移るこの季節が
私は一年中で一番好きです。

このところGWだというのに、梅雨の走りでぐずついた天気が続いていますが                                           連休の後半から連休明けにかけて、梅雨に入り、                                                            梅雨が明けると夏へとまっしぐらの沖縄です。                                                              (沖縄気象台は5日沖縄地方の梅雨入りを発表した)

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2014年5月5日リンクURL