1396日目のゲート前~今日(5月2日)の辺野古

6:30に那覇を出て、沖縄自動車道から中城湾を臨む辺りに来ると、いつも昇ったばかりの太陽の光を浴びることができる。

今日の空は、雲が霞となって太陽を覆い、レースカーテン越しのように、大きくまあ~るい太陽が透けて見えた。
なぜだか、3本も4本も大小の飛行機雲がたなびいていた。その一本の先っぽに、まるで「玉を抱く龍」のごとく太陽が光っていた。

いつもトイレ休憩をとる伊芸サービスエリアに入ると、もうすでにキャンプ・シュワブに向かう工事車両が時間待ちをしていた。

ゲート前に着くと

いつも救急班の待機場所になっている工事用ゲート向かいのスペースが何やら怪しい雰囲気に近づいてみると、「蜂さんが活動中」とのこと。よく見るとたくさんのミツバチ?が飛び交っていた。梅雨入り前のこの時期は「分蜂」の季節。新しい女王バチが、働きバチを引き連れて古巣を離れ、新しい巣作りをする。

明日からゴールデンウィーク後半が始まるので、ゲート前に集まる人たちも少ないような気配。5~60人はいるだろうか。

いつも通り今日一回目の搬入が9時前から始まった。

私も真っ先に運ばれて檻の中に放り込まれた。人数が少なかったので、わずか30分程度でトラックの侵入が開始された。

「檻の中」、相変わらずの監視カメラ。「違法だ!」といくら訴えてもやめない。それどころか、よく見るとひとりの機動隊員の胸に、レンズをこちらに向けたスマホが取り付けられている。

これまでにはなかった光景だ。

「盗撮だ!」と強く抗議すると、「電源は入っていない。連絡用の携帯電話だ」とうそぶく。

「なら、レンズをここに向けるな!」というと、「あんたもカメラで写しているじゃないか!」と言う。「権力と庶民を一緒にするな!対抗手段だ」と、私の隣にいた人がナイスフォローしてくれ、しばし問答が続いた。

12時少し前から2回目の搬入が始まった。今日は積載オーバーのダンプが多い。明日からの連休に備えて、少しでも多く石材を運ぼうという計算のようだ。3時前には三回目の搬入もあり、今日も350台は越えたとみられる。

「人間の檻」、柵は私の頭の高さほどある。それでも元気な人は、柵を乗り越えて外に出る。

 NHKのカメラクルーが取材に来ていた。

マッキーが一生懸命にインタビューしている。彼の母親は沖縄出身。元アイドル歌手の南沙織さん。父親はかの有名なカメラマンの篠山紀信さん。ちゃんとまともな取材をしてほしい。最近のNHKはおかしいから…。

道路わきのプランターに、基地の中から水やり。花の名を騙りプランターを設置した側と、米軍・防衛局(国)との関係が透けて見える。花を悪用するな!と言いたい。

2018年5月2日リンクURL

沖縄関連集会に公安の群れ(東京)

29日、一坪反戦地主会関東ブロック主催の「~沖縄の元海兵隊員による性暴力殺害から2年~基地・軍隊はいらない!4・29集会」が開かれた。

沖縄から講師としてオール沖縄会議共同代表の高里鈴代さんが講師として登壇する予定だったが、23日の辺野古ゲート前で、機動隊の暴力的な排除による将棋倒しの下敷きになって、左鎖骨とろっ骨4本を骨折する1か月の重症を負い、行けなくなってしまったため、急遽、私がピンチヒッターとして東京へ行くことになった。

集会は、直前の急な講師交代で参加者が激減するのではないかと心配されたが「こんな時こそ私が行かなくっちゃ!」という沖縄魂が発揮され、沖縄に縁のある人たちをはじめ、その活動を支えて下さる皆さんが大勢かけつけ会場にあふれるほどいっぱいになった。

集会が終わって会場の外に出ると、路上に人だかりがしている。それも男性ばかり。「この辺りで何かあるのかしら?」と、私がいぶかっていると「公安ですよ」と、主催者の一人が教えてくれた。

言われて振り返ると、14~15人くらいの男たちが一斉に、集会を終えて帰っていく私たちを見つめている。沖縄関連の集会を開くといつもこれくらいの公安が見張っているのだそうだ。

公安と言うと、お馴染の帽子にマスク、手には無線機、作業服のような服装と言うのがこれまでの私のイメージだったが、この日の彼らは、確かにそれらしい者もいるにはいたが、ほとんどが街を歩いている一般の人たちと変わらない服装。

ただ、群れていて全員がこっちを向ていたので、少し違和感を覚えただけで、言われなければわからなかった。

「あの服装では、会場に参加者として入ってこられてもわからないですね」と聞くと、「いつぞやは、見慣れないミニスカートとジーンズのカップルが集会にきたので、新しい若い人が来てくれたと喜んでいたら公安だった」とか。デモ行進にもカップルを装って割り込んでくることもあるという。

酷いのは、駅などで辺野古などのビラ配りをしていると、必ず寄ってきて職務質問をするという。「脅しですよ」とのこと。

私がわざと大げさに構えてカメラを向けると、背中を向けたり植栽や電柱の陰にに隠れた。そのときは気づかなかったが、写真を見ると道路の先のほうにも結構な人数がいる。14~15人どころではなかったかも。「なんとも大変な世の中になってきたもんだ」と、ため息が出た。

 

2018年5月1日リンクURL

拘束した人々をトイレにも行かせない目に余る人権侵害~今日(4月25日)の辺野古

6日間連続500人大行動3日目の今日(4月25日)

初日に5時間半もダンプを止められたことから、機動隊は2日目の昨日からは、抗議の座り込みができないよう大型の警察車両を道路にはみ出して駐車している。

私たちが辺野古に到着した午前7:45にはすでに、ケート中央の警察車両の前には機動隊が、民間警備のアルソックと共に二重三重になって整列していた。

仕方なく抗議の人々は道路に座り込むしかない。時間の経過とともに抗議の人たちが増え、道路に座り込んだ人々はメインゲートの手前まで片道一車線を埋め尽くした。

すると機動隊は、一人ひとりをごぼう抜きして檻に閉じ込めるのでは時間がかかりすぎるので、座り込んでいる200人ほどの人たちを、大型警察車両(通称カマボコ)を5台並べ、道路ごと囲い込んで一挙に拘束した。

昨日は、檻に囲い込んだ人たちを3時間も拘束し、トイレにも行かせなかったという。今日も同じ作戦に出た。人権侵害だと弁護士を通じて抗議してもなお、1時間以上拘束を続けたうえで、やっと「トイレに行った人がまた檻の中に戻ってくること」を条件にトイレに行くことを認めた。

トイレから帰ってきた人たちは、自分たちが檻に戻らないと、次の人たちがトイレに行けなため、屈辱的な思いをしながら、檻に戻ることを余儀なくされた。

前名護市長の稲嶺さんも連日座り込みに参加、ごぼう抜きにされ、檻に閉じ込められた。

車いすも容赦しない。

基地の中から、米兵と工事関係者とみられる人たちが高見の見物。時折抗議の人たちを指さして笑い合っているのがなんとも腹立たしい。

残念ながら、強制排除がはじめって1時間20分ほどでダンプが基地に入り始めた。

それでもなお、檻に囲い込んで拘束した人たちを開放せず、エンジンかけっぱなしで、身動きできない人たちに排気ガスをまき散らす警察車両。

これ以上はの拘束は、健康上も限界だとの現場リーダーの判断で、ゲート前での抗議を中断し、いったんテントに引き上げることになった。

初日700名、二日目800名、今日も800名と県内だけでなく県外からも多くの方々が参加、平和市民連絡会の早朝バスも満席だった。平和市民連絡会では、6日間行動の期間中、毎朝6:30那覇発の大型バスを運行中。

また今日は海でも、護岸工事開始1年目ということで、カヌー80艇、抗議船7隻で150人が海上に繰り出し、浜でも270名が抗議の声を挙げる大規模な海上座り込み行動が展開された。

2018年4月25日リンクURL