工事が中断している辺野古ゲート前は、穏やかな一日だった。
ゲート前のテントは花が絶えない。
今日はヒマワリの花が2か所に生けられていた。
「小父さん」と言ってもこの方は、地元名護市の市会議員を10期・37年務める超人だ。座り込みが早朝6時だった時は毎朝、いまも議会がない日は毎日ゲート前でみんなと一緒にすわり込む。長年基地と向かい合って闘い・培ってきた地元ならではの細かい情報を、わかりやすく解説してくださる。
そして、今日も全国からぞくぞく支援の人たちがやってきた。
この皆さんは千葉から。千葉在住の沖縄出身の方が主催するツアーでやってきた。沖縄にはめったに来られないが、安保法廃止と辺野古反対で、毎週地元の駅前でチラシ配りなどをしているという。
大阪から来た女性は「40年ぶりの沖縄。そのときは観光で来ただけだったが、まだ幼かった子どもが、嘉手納基地から飛び立つジェット機の爆音におびえ、私にしがみついてきたことが強烈な印象として残っている。何もできないが辺野古の現場を一目見るだけでも繋がれるかと思って…」
JR労組の若者たちが40名。「新聞やテレビでは見て知っていても、実際に現場に立ってみると、肌で感じるものがある」と。
辺野古の闘いは、沖縄と同じく米軍基地建設に抵抗する韓国・済州島カンジョンの闘争ともつながる。