辺野古あ・ら・か・る・と~米軍の性暴力・「沈黙の声」を聞け!

ある日の辺野古キャンプシュワーブゲート前。フェンスに白いリボンと、文字の書かれた白いテープが長々と貼り付けられた。

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白いテープに刻まれた文字は語る。

「1946年 10月4日、畑に行く途中の29歳の女性が、ジープに乗った米兵に拉致され、南風原付近の川沿いで2人の米兵に強姦される。さらにジープに乗せられて嘉手納の米軍兵舎に連れ込まれ、翌日午後0時半までの間合計3人の兵士に11回強姦される」

「1968年5月19日、52歳の主婦、自宅前の路上でミサイル基地所属の上等兵に強姦・殺害される」 ・・・・・・・・・・・・。

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延々と続く白いテープを、みんなで辺野古基地の金網に括り付けた。一緒に結ばれたリボンは米兵の暴力によって殺されたり、身体と心を傷つけられた女性たちに捧げる鎮魂のリボン。

このテープとリボンを作ったのはオーストラリア出身のジェーンさん。彼女は2002年に横須賀で米兵にレイプされ、訴えた日本の警察での取り調べの中でセカンドレイプ(二次被害)に会い、今も続くPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ米軍犯罪被害者である。

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2008年、沖縄北谷で起きた米兵による少女への性暴力事件に抗議する県民大会で「米軍のレイプ被害者」として初めて実名を出して発言したことで、同じく軍隊の性犯罪を告発する沖縄の女性たちと出会い、勇気づけられた。

白いテープに書き込まれた言葉は、その沖縄の女性グループが作成した「沖縄・米兵による女性への性犯罪(犯罪年表)」の抜粋である。そこには1945年米軍の沖縄上陸と共に始まった女性への性暴力の数々が、時系列でA4版27ページにわたって掲載されている。

しかし、わかっているのは殺されたり、大けがをして事件として明らかになったものだけで、この何十倍もの女性たちが、性被害者として苦しみの中で沈黙を強いられていることをジェーンさんは知っている。

犯罪年表 表紙犯罪年表 中身

 

 

 

 

 

ここに書かれているのは、沈黙を強いられた女性たちの「声なき声」である。

ジェーンさんは言う。『私は彼女たちの名前も知らない。でも彼女たちは私、私は彼女たち。長い長い間の沈黙の数々の「昨日」、そして「明日」レイプされるであろう人々、いつ終わりが来るだろう。私の中にあるすべての力を解決のために使おう。私はけっしてレイプ被害者のために黙りはしない。そう、私は「声」を持っているのだから。お墓の下でもう声を持たない被害者もいる。私の声は彼女らの声でもある』

辺野古芸と前で

辺野古ゲート前で

 

ジェーンさんは写真、絵画、詩など癒しのアートとしての芸術活動をしながら、いまだ日本社会にない24時間体制のレイプ被害者緊急支援センターの設立を目指して活動している。

2015年6月29日リンクURL