山崎豊子さんと沖縄

作家・山崎豊子さんが亡くなられた。

新聞記者時代に培った取材力を駆使して
社会の闇に切り込み、不正義・不条理を鋭く突いた作品が 持ち味だった。

まだ新聞社に女性の記者が少なかった1944年に毎日新聞入社、
今なお男社会の権化のようなマスコミ界において
男性ならしなくていい苦労をし、いわれのない性差別を受けながら記者時代を過ごし、
後に作家としての立ち位置を築いてこられたのではないかと想像する。

編集者たちから取材の鬼と称されているように
テレビドラマ化された「大地の子」を書いたときは
中国に3年も暮らしながらこの作品を書き上げたという。

DSCN0562

沖縄をテーマにした「運命の人」を書いた時も、長期間沖縄に住み、たくさんの人に会い、さまざまな場所に行き、民族、文化、歴史など徹底的に取材しつくしたという。

大好きな作家だったし、仕事柄、けっこう著名人(芸能・文化人、政治家など)に会う機会に恵まれていたが、山崎さんにはついにお会いする機会がなかった。

聞けば、マスコミ嫌い、というか「作家は原稿用紙の升目を埋めるのが仕事」という 考え方の方で、めったにテレビや雑誌の取材には応じなかったらしい。

「運命の人」は、沖縄返還の際の 日米政府による「沖縄密約事件」を題材にした長編、沖縄に関心を持ったのは、 「ひめゆり平和資料館を訪れたのがきっかけだった。
語り部の証言に涙し、今まで知らないでいたことを悔い
沖縄を書かなければという思いが募ってきた」(作家の使命ー私の戦後より)

「運命の人」では、沖縄の犠牲の上に成り立つ日本の繁栄の欺瞞性をついた政治部記者に心を寄せつつ、かつて自らも身を置いた組織ジャーナリズム(新聞)への批判も込めた私たちは沖縄に迷惑をかけたのではない。犠牲を強いたのです」(共同通信記事より)

「沖縄に住んでこそ実感できたこの不条理を、もっと国民が知らなければならない」琉球新報 5日付朝刊・金口木舌より)と語っている。

いま、このような感性を持った人は、マスコミ界だけでなく
この国の行方を牛耳る官僚や政治家の中にはいほとんどない。

ホウオウボク(鳳凰木)

ホウオウボク(鳳凰木)

奇しくも昨日(4日)は、日米の外交・防衛担当閣僚による安全保障協議会(2プラス2)が開かれ、
「辺野古は唯一の解決策」と、沖縄にさらに犠牲を強いることで、日米の安全保障を強化する取り決めをしたという報道が、山崎さんの記事と同じ紙面を埋めた。

山崎豊子さんにはもっと長生きして、
沖縄のことを書き続けてほしかった。

心からご冥福をお祈りします。

2013年10月4日リンクURL