「10・21県民大会」あれから25年 ~ 今日(10月・21日)の辺野古

 明日で「2300日」を迎えるのか!と思うと新たな感慨が湧いてくる今日の辺野古。

 今日は、県外からの参加者が目立った。

8:20辺野古に到着すると、テント前はすでに、にぎやかな挨拶の声が響いていた。

 

 今日ゲート前での第一声は、「あれから25年!」ではじまった。1995年の10月21日、8万5千の県民が結集して県民大会が開かれた。小学生12歳の少女が3人の海兵隊員に襲われるという集団強かん事件に対する抗議の県民大会だ。

 戦後ずっと起こり続けてきた基地あるが故の事件事故に対して、県民の堪忍袋の緒が切れた怒りの県民大会だった。日米同盟の危機を感じた日米両政府は、普天間基地の返還を発表して、県民の怒りをおさめようとした。SACO(沖縄に関する特別行動委員会)を設置して、沖縄の基地負担を減らすと、いくつもの解決策を提示してきたが、25年たって、それはことごとく県民の期待を裏切ってきた。普天間基地返還が辺野古への新基地建設にすり替えられたように…。そして、米軍人による女性への性暴力事件も相変わらず起り続けている。

 座り込む人々に負けじとばかり、生コン車の車列も、いつもよりかなり多い。そのうえ、上空をうるさく一機のヘリが飛び回っている。菅政権になって就任したばかりの新防衛大臣が、今日から沖縄視察に来ている。それではないか!と言う。辺野古の工事が進んでいることを示したくて、沖縄防衛局は、工事車両の行列を増やしたのではないか!とのこと。有り得る!工事車両の前に抗議で座り込む人々が、こんなに多くいることも見えているだろうか!

 

 県外参加の一団は、「郵政シルバーユニオン」の皆さん。毎年、年に数回全国から「沖縄辺野古応援団」としてやってくる。今回は第19次の13名。「沖縄の闘いに元気をもらって、自らの労働運動のエネルギーにしている」とあいさつ。

 こちらは、東京足立区の区議会議員の方々。足立区と言えばいま「LGBTや同性愛者が法的に認められると、足立区が消滅する」と一人の区議が発言して非難を浴びているその区議会のメンバー。もちろんこの方々は、その発言に抗議するする側の議員さんたち。

 福島原発事故の被災地からの参加。被災者4千人が国と東電を訴えた裁判の勝利を報告。高裁がはっきりと国と東電の責任を認めた。(が、国と東電は最高裁に上告)裁判の弁護団のお一人と、原発事故から沖縄に避難してきて原告として裁判に参加した方。

 弁護士の男性は、「原発と沖縄の基地問題は共通性がある。国策の負の部分を押し付けられている」と。原告の女性は「沖縄に避難してきてはじめて、戦後何十年も、知らずに沖縄に基地の犠牲を押し付けてきたことに気づかされた」と、涙をぬぐいながら語った。

 午後3時の今日3度目の座り込みには、県外から参加の皆さんのほとんどが帰って人数もかなり減ったが、ゲート前は歌や踊りで大盛り上がり。リードするのは女性たちだ。平和市民連絡会が担当する毎週水曜日はまるで女性デー。

 そんな女性たちを、塀の上から芙蓉の花たちが、優しく見守っていた。

 

いまやんばる路は芙蓉の花の季節。メインゲート前の塀の上、基地のフェンスを隠すように酔芙蓉が咲き誇っている。

 

 

 

2020年10月22日リンクURL