「ことば」は精神 、民族の命 ~ 映画「マルモイ(ことばあつめ」

 8月28日、午後2時30過ぎ、「安倍総理 辞任の意向!」のニュース速報を聞きながら、ブログの更新原稿を書いている。「ワインで乾杯でもしたいね!」と、友人と話しながら…。

 昨日、その友人に誘われて 映画を観てきた。韓国映画「マルモイ(ことばあつめ」、そのタイトルからは想像が及ばない内容だった。

 日本の植民地支配下の朝鮮半島で、母国語である朝鮮語を禁じられ、日本語で話すことを強制され、名前まで日本風に変えさせられた(創氏改名)朝鮮の人々が、命がけで民族のことばを守った物語である。話題作「タクシー運転手」の脚本家・オム・ユナ氏の初監督作品。

 「クトゥバウシナイネェ、クニウシナイン(言葉を失えば、国を失う」とは、沖縄の先人たちの教え。国とはもちろん「琉球」のことである。

 この映画は、名前をヤマト風に変えさせられ、大衆娯楽の沖縄芝居までも大和口(やまとぐち)を強制、あげくは戦時中、「琉球語を話す者はスパイ!」と決めつけられ銃殺された沖縄の歴史と重なる。観ながら「日本という国は何という国だ!」と怒りと悲しみが込み上げてきた。

 「日本」と言うより「国家権力」と言うべきか。ナチスドイツもそうだった。しかし、ドイツは戦後徹底的に反省し、被害者に詫び、その責任者を追及してきた。反省も、詫びも、責任追及もあいまいにしてきた日本は、再び同じ過ちの道を突き進んでいる。その急先鋒だった安倍政権が終わるという第一報を、「マルモイ」を観てきたタイミングで聞くのも、なにか因縁めいている。

 ただ、安倍政権は政治的な敗北でなく、自滅による退陣である。代わる政権も自民党である限り、大した違いはない。特に沖縄にとっては「めでたさも中くらい」でもなく、極小というところだろうか。

 

 

 

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