チリ地震で津波に呑まれた「辺野古」 ~ 今日(9月11日)の辺野古

 南国沖縄も確実に秋の気配が漂い始めている。先週の土曜日辺野古へ向かうときには感じなかったが、今朝(12日)7時のバスに乗るため自宅を出ると、あたりがかなり暗く、季節の移ろいの速さに戸惑った。

ただ、日中の暑さは変わらない。ゲート前に座り込んでいると、顔から背中から滝のように汗が流れ落ちる。

 一回目の搬入に備え30名余が座り込む。9:00過ぎ生コン車が押し寄せてきた。

 機動隊が出てくると座り込みはわずか十数分で排除され、生コン車が基地の中になだれ込んでいく。

 毎日これだけの生コン(一日に3回)が、辺野古の海の埋め立てに使われているのかと思うと、胸が苦しくなる。この日も生コン車、捨て石や資材を運ぶダンプ合計197台が入った。

<チリ津波に呑みこまれた辺野古>

 お昼の休憩時間に、島袋文子さんがとても貴重な体験を話された。1960年に起こったチリ地震のとき、辺野古の集落は津波に襲われたという。

「朝6時ごろ、何か重たいものを引きずるような大きな音がしたので目が覚めて、雨でも降っているのかと思って戸を開けたら、大きな波が山のようになって見えた。当時はトイレは汲み取り式だったので、それが海水と一緒になってもうぐちゃぐちゃ。大変だった!

 政府は大きな地震は起きないというけど、あんな遠い南米の地震でもあれだけの津波が起こるんだから、そんなところに基地なんか造ったら大変なことになるよ」と、弾薬庫のすぐ横に2本の活断層が走る辺野古新基地を懸念した。

ちなみに文子さんの住まいは、辺野古の集落でもかなり高台にある。さらにその上方にある現在の高専の当たりまで津波は達したという。

 一方防衛省は「大地震は起こるとは想定していない」として、気象庁が策定(2013年調査報告)した「近い将来地震が起こる可能性」の最大震度6弱を、4に書き換えていたことが明らかになっている。(詳しくは、このブログの前回記事を参照)

 

2019年9月12日リンクURL