杖はついても、車いすでも ~ 今日5月30日の辺野古

梅雨入り宣言から一月近くになるというのに、雨らしい雨が降った日は一日もない沖縄。(離島などでは給水制限の話さえ出ている)炎天下のゲート前座り込みはかなり体力を消耗する。

辺野古へ行く予定の日は天気予報が気になる。冬の雨の中での座り込みも辛いが、夏の沖縄の太陽直下もかなり厳しい。少し雨が降ってほしいと願うが、数日前の天気予報では雨マークだったのに当日はカンカン照り、そんな日が続いている。

午前7時半過ぎゲート前に着くと、追っかけるように警察車両が座り込みテントの前を通り、基地の中へと消えていった。見上げると、キャンプ・シュワブの上空は、雲一つない青空が広がっていた。

辺野古ゲート前の座り込みは、今年7月1日で丸4年となる。その間には亡くなられたり、病に倒れたり、高齢になり来たくても来られなくなったりした人も少なくない。

そんな中で、杖をついても、車いすでもやってくる方も大勢いらっしゃる。同じく、90歳でも、95歳でも来る意志のある方はやってくる。30日もそんな方が3人もいらした。

そういう方々を目の当たりにすると、普通に元気の自分は、遠いから大変とか、暑いのがつらいなど言っていられなくなる。

遠くと言えば、この方はニュージーランド在住。20代に沖縄の海に魅せられ、以来沖縄の離島などを回っているという。「こんな貴重な海を埋めるなんてとんでもない」と怒った。

この方も遠くキューバから。生まれは沖縄だが県外育ち、キューバの海にほれ込んで現在キューバ在住。「故郷沖縄を失いたくない」と、辺野古へ通っている。

 

この方は県外から。現職の高校教師で演劇部の顧問。辺野古へ通う中で「対馬丸」のことを初めて知り、一年前、このテントの下で脚本を書き始めた。「学童疎開船・対馬丸」をテーマにした演劇を書き上げた。高校演劇コンクール県大会,地区大会で優勝、全国大会へ進み絶賛されたという。「ここ(辺野古)で小さな種がまかれ、全国へ広がっている」と、座り込む人々を励ました。

          <メインゲートでも軍車両の出入りに抗議の声を挙げる。

今日(30日)も3度ごぼう抜きにあい、315台のトラックやコンクリートミキサーが基地内に入った(そのうち193台が岩石を積んだダンプカー)。最近は毎日200台以上の砕石を積んだ10㌧ダンプが入っているが、この日は久々に100台に落ちていた。それは国頭村半地の国場組の採石場で18人の地域住民が早朝からダンプの運転手への「説得活動」が行われ、朝の一回目は一台も出なかったことが原因だったとのこと。県警のパトカーが1台来たが、集団からはずれていた1人を道交法違反で逮捕しダンプカーは出さないで直ぐ帰ったことから逮捕が目的だったと思われる。

この日は塩川港からの搬出はなく、大浦湾での作業もなかったと報告された。ただ、辺野古側の浅瀬の海での護岸工事は行われ、抗議船・カヌーでの抗議行動が行われた。

なお、平和市民連絡会のバスは、辺野古の帰りに名護署に立ち寄り、不当逮捕に抗議をするとともに、逮捕された仲間を激励した。

辺野古ゲート前に来ることだけが沖縄の抵抗運動ではないことはもちろんだ。「できる人が、できるときに、できるところで、できることをする」辺野古の合言葉の一つである。

 

2018年5月31日リンクURL