終わらない戦後②~不発弾の上に眠れますか?

<沖縄戦の不発弾、いまだ地下に2100㌧>
沖縄の新聞には、毎週末と言っていいほど不発弾処理の予告記事が掲載される。住宅建設現場などで発見された不発弾を処理するため避難を呼びかけるもの。住民生活への影響を最小限にするため、緊急でない限り休日に行われるが、それでも近くに病院があれば、入院患者も非難しなければならないし、工場や店舗は休業しなければならない。もちろん付近の道路は交通止めとなる。だがそれは、多くの県民にとって特別驚くことではない。不発弾処理は日常茶飯事なのだ。

この原稿を書いていたら、私のいる事務所の近くで、不発弾処理があるとのお知らせが、郵便受けに投げ込まれていた。何というタイミング!

 

<学び舎は不発弾の上に>
2012年4月、県立首里高校グラウンドの校舎改築工事現場で見つかった米国製250キロ爆弾(直径36センチ、長さ120センチ)の処理が、陸上自衛隊によって行われた。腐食が激しく、信管を抜き取ることが難しかったため運搬できず、現場で爆破処理が行われた。これにより半径288メートルの約2350人(約845世帯、95事業所)が避難を余儀なくされ、区域内の大型ホテルは前夜から一切宿泊客を取らず、処理作業が終わるまで休業となった。
首里高校の工事現場からは、合計16個の不発弾が発見されており、その都度同様な不発弾処理が行われた。恐ろしいのは、首里高校の生徒らは、戦後70年近くも不発弾の上で学び、体育の授業や運動会で飛んだり跳ねたりしていたことになる。よくぞ爆発事故が起こらなかったものだ。
それにしても、なぜ沖縄にこれほどまでに多くの不発弾があるのだろうか。

<「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦>

沖縄戦における米軍の艦砲射撃

沖縄戦は「鉄の暴風」と形容される。有り余る物量に任せて、米軍はこの小さな島に雨あられと爆弾を降らせた。その量たるや実に20万㌧と言われても、軍事専門家でもない私たちには、数字の大きさはわかっても実感として捉えることができない。
佐喜眞美術館の佐喜眞道夫館長は「沖縄戦の図」を前に、沖縄に降り注いだ爆弾について、こう説明した。「米軍が上陸した読谷あたりから日本軍の司令部があった首里城までの間に打ち込まれた砲弾は、平均すると1坪に1㌧にもなりました。沖縄戦で使われた250㌔爆弾というのは、一発爆発すると50㍍プールくらいの穴が開き、半径700㍍の木造住宅は全部吹っ飛んでしまうほどの威力があります。1坪1㌧ということは、1坪あたりに250キロ爆弾が4発撃ち込まれたことになります。

展示作品の解説をする佐喜眞道夫館長(佐喜眞美術館にて)

『沖縄戦の図』が展示されている部屋の隣の展示場は44坪ですから、あの空間に176発の250㌔爆弾が落ちたことになります。これはほんとに信じ難い状態です。

沖縄戦全体を通じて使われた砲弾の総重量は20万㌧と言われています。20万㌧というのは10㌧トラックで2万台分です。アメリカ軍はこれだけの砲弾をこの小さな島に打ち込んだのです。ですから沖縄戦の戦場では、五体満足な死体はありません。全部吹き飛んでぐちゃぐちゃ。誰が誰やら判別できなかったと聞いています」。
このように沖縄全島に打ち込まれた砲弾は、そのうち約1万㌧が不発弾となって地下に埋もれたと考えられている。しかもそれは米軍だけの数字で、日本軍が使った砲弾は加味されていない。

<絶えない不発弾事故>
幸い首里高校のグラウンドでは爆発事故は起こらなかったが、1972年の本土復帰前に発行された琉球警察統計書によると、戦後不発弾事故で710人が死亡、1281人が負傷している。
復帰後も1974年3月に、那覇市小禄の幼稚園で不発弾が爆発し、園児や作業員4人が死亡、34人が重軽傷を負う事故が起きた。幼稚園の外壁沿いで道路工事があり、重機が地下に埋まっていた不発弾に触れ起こった事故だった。

「沖縄不発弾処理対策協議会」の資料より

この事故をきっかけに不発弾に対する認識が高まり、道路工事や建築現場では、事前に磁気探査が行われるようになった。しかし、公共工事は公費で賄われるが、民間工事は自己負担となるため十分対応ができるとは限らず、その後も人身に関わる不発弾事故は何度も起こった。
戦争の結果である不発弾は、国の責任で対処すべきだと、沖縄側からの長年の強い要望にもかかわらず、やっと国の磁気探査支援事業がスタートしたのは2012年度、わずか5年前である。

<不発弾処理の実績>
「沖縄不発弾処理対策協議会」の資料より

 

<年間900件、ゼロになるのは70年後?>

ちなみに、県への不発弾の届け出は、昨年16年度1年間で651件だった。過去多い年は900件近くもある。一度に4000発もの不発弾が見つかったこともある。年間の処理量は平均30㌧で、まだ2000㌧余の不発弾が残っていると推測され、全部処理されゼロになるのは70年後という計算になる。
発見される不発弾の99%が住宅などの民間工事であることを考えると、県民は日々生命・財産を脅かされながら不発弾の上で暮らしていると言っても過言ではない。 県議会では不発弾に対する国の責任を明確にするとともに、早期処理を促すため、来る9月定例議会で「不発弾等の根絶を目指す条例」を制定する方針。ここにも「いまだ終わらない沖縄の戦後」の実態がある。

2017年9月10日リンクURL