今年はリセットの年? ~ Myシーサーコレクション№16    

  亥年生まれの私、生まれ年の今年はいろいろとあるだろうと予感はしていましたが、ど うやら大リセットの年のようです。

 平成が終わり、令和の始まりとなった世替わりは、個人的には何も関係はないものの、すべての出来事はつながっていると言われているので、無関心ではいられません。そして、今回の首里城の焼失は、終わりではなく、何かのスタートではないかと感じています。

 個人的なことに話を戻しますと、10月から12月にかけて3つの引っ越しをすることになりました。
 10月には40数年通った琉球舞踊の稽古場が移転。今月の下旬には30年以上住んだ自宅マンション、12月中旬は、30年近く女性問題や平和運動の活動の拠点としてきた事務所が移転することを余儀なくされました。いまそれらの片付けに忙殺されています。

 10年前の定年のときに職場から持ち帰った仕事関係の資料の数々が、まだ段ボール箱に詰め込まれたまま自宅に積まれているものもかなりあって、これらを思い切って断捨離する潮時なのだろうと思っています。

 奇しくも、転居する自宅の部屋番号が「111」号室、ははじまり・スタートを意味する数字。40年近くこの身にくっつけてきた余分なものをそぎ落してリセット、すっきりと再スタートしたいと願っています。

※  辺野古の行動もしばらく毎週行くことは無理だったり、ブログの更新も滞るかと思います。また、遠方の友人たちにはブログの更新が安否確認にもなっていますが、元気ですので、どうぞご心配なきよう!

※  写真は、先日、名護市大浦の集落で出会ったシーサーたちです。(記事の内容とは関係ありません)家々の塀や石垣に飾られていました。「集落の子どもたちの手作りかなぁ」と思いましたが、確認することができませんでした。

2019年11月4日リンクURL

決して差し込んだのではありません~自然の力

カラーコーンの先から勢いよく伸びているツユクサの生命力に感心して、思わずカメラを向けてしまいました。ツユクサの名誉のためにも言っておきますが、決して奇をてらって誰かが差し込んだのではありません。

道端の小さな空き地に、なぜか一個のカラーコーンが放置されていて、てっぺんからいかにも活けたかのように形よくツユクサが顔を出しているのです。

たぶん、カラーコーンでふさがれた土の中から芽を出したツユクサが、先っちょに開いた小さな穴からわずかに差し込む光を目指して必死に伸びて来て、やっと大空のもとに抜けだし、体いっぱいに太陽を浴びて喜んでいる、そんな感じです。

その空き地はいま、雑草が刈り取られきれいに整地され、カラーコーンだけがぽつんと置かれています。

私は、どちらかといえばツユクサの生えた空き地のほうが、ずっと好きですが…。

こちらは、草ではなくが、金属製のポールの中から生えています。元は駐車場のチェーンを留める鉄柱のようですが、筒状になった空洞の中に種が落ちて芽を出したのでしょうか。植物の生命力ってすごい!って、改めて思います。

人が、花や野菜の種をまき、肥料や水を与えて一生懸命手をかけても、なかなか思うようには育ってくれないのに、道端に自然に生えた草や木は、なんでこんなに元気なのでしょうか?

人は、これを雑草と呼びますが、ハーブ愛好家のわが妹は「雑草という名の植物はない。人間が勝手に言っているだけ」と、怒ります。

「人間の勝手」確かに!私たちは花や野菜、木など植物を育てるのなら、もっとちゃんと植物の声に耳を、というか心を傾ける必要がありそうです。

子どもに良かれと思って勉強(高学歴)を強要する親、みたいなもんですかね。

最近つくづく思うことです。

 

2018年9月12日リンクURL

秋ですね~栗ご飯炊きました!

沖縄も、朝夕は少し涼しくなりました。クラーなしでも寝つけるので助かります。

友人から秋の味覚・栗をいただいたので、栗ご飯炊いてみました。
沖縄には栗はできないので、栗ご飯を炊くのは生まれて初めてです。

いつも栗きんとんとか、焼き栗とか、マロングラッセとか、調理済みの栗しか食したことがなかったため、栗を剥いたのは初めてで、ちょっと苦労しました。こんなに剥きにくいとは知りませんでした。

何個か剥いているうちにコツがつかめて、なんとか挫折せずに剥き終り、無事栗ご飯を炊くことができました。

これまでは何気なくいただいていた栗を使ったお料理、これからはこんなに大変な下ごしらえをして調理して下さることに、しっかり感謝していただかなくっちゃ!

 我が家の、今日のお昼ご飯です。栗ご飯にサンマ、まさに秋の食卓。巡りくる季節と自然の恵みに感謝して!

栗ご飯、美味しかったです!!!!!ありがとう!!!!

2017年9月30日リンクURL