辺野古 抵抗の歌 ①

 

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ゲート前の座り込みでは、歌や踊りも大切な抵抗行動の一つである。
毎日那覇から出ている島ぐるみ会議の辺野古行きバスの中でもたくさん歌が飛び出す。

既成の歌だけではなく、誰でもすぐに歌えるように、みんながよく知っている歌謡曲や童謡、唱歌、民謡の替え歌が多い。

ゲート前の座り込みが始まってもうすぐ一年になるが、この間につくられた歌は、100曲を超えると言われている。昨年末には、これらの歌を集めて「辺野古 浜の大芸能祭」も開かれ、大いに盛り上がった。

作詞も歌い手も素人ながら「なかなかの傑作」も多い。
これから「辺野古へ来たい!行きたい!」という方々のために随時ご紹介していきますので、ぜひ覚えて来てみんなで一緒に唄いましょう。

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どうにも止まらない
(山本リンダの歌  替え歌)

1、噂は全くその通り おいらの狙いは9条さ
  いつでもイクサのできる国 それがおいらの夢なのさ
  アメリカの尻にひっついて 今日は東に明日は西
  世界の果てまでついて行く それが集団的自衛権
  あ~憲法は変えればいいさ
  お友だちで決めればOKさ
  魔法の言葉 解釈改憲 もうどうにも止まらない

2、ここは沖縄 基地だらけ 新たに基地もつくります
  自由におつかいくださいな お金もたくさんつけましょう
  きれいな海もなんのその イクサの犠牲も顧みず
  われらの誇りも傷つけて どこが寄り添う心だよ
  ああ~憲法は変えればいいさ
  お友だちで決めればOKさ
  魔法の言葉 解釈改憲 もうどうにも止まらない

3、安倍政権の暴走を 見て見ぬふりは罪なのよ
  いまこそみんなで立ち上がろう 全国各地で声あげよ
  憲法改悪許さんぞ 原発再稼働阻止するぞ
  新基地建設阻止しよう 国会をみんなで包囲しよう
  あ~憲法はみんなのものさ 日本の誇り9条なのさ
  安倍政権打倒するぞ もう怒号が止まらない

ところどころ字余りなところはお許しあれ!
なにしろみんな全くの素人なのだから。

さぁ!あなたも歌ってみよう!
そして、あなたも歌を作ってみよう!抵抗の歌を!

2015年4月27日リンクURL

今日(4月24日)の辺野古~広がる沖縄への共感

全国紙の世論調査で辺野古に対する
安倍政権のやり方に賛成できないという人の割合が55%となり、辺野古の埋め立て賛成25%(朝日新聞)を大きく超えたという。(毎日は53%対34%)

そのことを示すように
今日(24日)の辺野古へは、県外からの団体の支援者が
相次いだ。

また、辺野古基金への寄付も立ち上げからわずか2週間で8,978万円に達したと発表された。

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海外メディアの関心も高まり
世界中に情報発信するアルジャジーラが,昨日から大浦湾を取材中とのこと。先週、先々週は韓国のKBC、イギリスのBBCの取材班も辺野古を訪れた。

島ぐるみ会議のバスで辺野古へ到着した私たちは
今日はまず第三ゲートに向かい、海上で抗議行動を展開するカヌー・辺野古ブルーと抗議船・辺野古レインボーへ声援を送った。

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この日は波が荒く、二つのスパット台船に作業員の姿はなく、海上での調査作業は行われなかったようだ。

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第三ゲートから、第二ゲートの座り込みテントに歩いて戻る途中の沿道には、やんばる特有の植物たちの息吹が豊かに感じ取れる。野生のクチナシ、野イチゴ、野生ラン、そして高速道路沿いにいじゅの花も咲き始めた。

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ゲート前行動のリーダー・山城博治さんの病気療養の報に
「残された自分たちが頑張らねば!」と
ここ数日ゲート前に座り込む人たちの数が増えている。

博治さん本人に代わって似顔絵が、人々を迎え励ます。

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誰かが、「博治さん、ここへ帰ってくるんだよ!」と
座り込みテントに幸せの黄色いハンカチを掲げた。

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不屈のゲート前24時間座り込み292日

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辺野古漁港前のテント村は4000日を超えた。

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2015年4月25日リンクURL

写真展~終わらない戦後 二人が撮らえた沖縄

知人二人がコラボして写真展を開いている。
気になりながらも、なかなか行くタイミングをつかめなかったが、
最終日の昨日になって、やっと行くことができた。

大城・山城写真展 チラシ 表二人とは、共に報道カメラマンで
大城弘明氏は沖縄タイムス、山城博明氏は琉球新報のカメラマンとして復帰前後から現在まで、ほぼ同時期に激動の沖縄を撮り続けてきた。

仕事上はライバル会社であり、取材現場では常に競い合ってきたであろう二人が、定年後とはいえ、共同して写真展をひらくことができるというのは
たぶん、二人が目指しているものが同じだったからではないだろうかと、勝手な感想を抱いた。

米軍圧政下の復帰闘争、癒えることのない戦争の爪痕、終戦から70年を経てもなお続く基地の重圧など政治的な現場だけでなく、人々の暮らし、古くから伝わる習俗や祭祀、島の自然まで常に住民目線でとらえ伝えてきたことがよくわかる。

展示された写真はおよそ500点、それでも2人にとってはほんの一部だという。

とくに、大城さんの個人史と重ね合わせ戦争の傷跡をたどった「家族の肖像」に、引き付けられた。
曾祖父母、祖父母、両親の壮絶な戦争体験。
父親は長崎での被爆体験を持ち、母方の家族が隠れていた避難壕を日本軍に追い出され、戦場をさまよう中、筆舌に尽くしがたい体験をした祖母と母の、身体に残された消えない傷跡が戦争の醜さを証言し、告発する。

二人は戦後生まれである。しかし、こうした家族の戦争体験を追体験し、記憶してきた。それは二人の特別な状況ではない。沖縄では70歳以上の人はみんな沖縄戦の地獄からの生還者であり、どの家庭でも必ず、戦争でなくなった家族が一人や二人はいる。私たちの世代はその体験を何度も聞きながらな育った。私も10・10空襲で祖父を亡くし、母は二度の”自決”の末死にきれず、米軍の捕虜になることで生き残った。90歳で亡くなるまで全身に無数の手りゅう弾の破片を抱いたままだった。

沖縄県民にとって、70年にわたる戦後生活も、戦争体験以上の苦難の連続だったのである。

20年にもなろうとする辺野古の反基地の座り込み。東村高江のヘリパット反対の闘い、オスプレイ撤去の普天間基地ゲート前行動。
沖縄の人たちがどうしてそこまで基地に抵抗するのか?その強さはどこから来るのか?とよく問われるが、その答えがここにある。単にイデオロギーで基地反対と言っているのではないのだ。

大城さんと山城さん

大城さんと山城さん

安倍総理をはじめ、おぼっちゃま、お嬢様育ちの二世・三世議員が幅を利かせる昨今の中央政治家には、戦争がどんなものか想像さえもできないだろう。

一つの写真展が、私のなかに改めて抑えようのない憤りを呼び覚ます。

2015年4月20日リンクURL