県の「撤回」に基づき新基地建設断念を求める ~ 防衛局の横暴許さない緊急県民集会

今日(26日)正午過ぎから、県庁前の県民広場で、県の「埋め立て承認撤回」に基づき、辺野古新基地建設の断念を求める緊急県民集会(オール沖縄会議主催)が、県庁前の県民広場で開催され、350人が結集した。

沖縄県が行った辺野古の「埋め立て承認撤回」に対して、沖縄防衛局が行政不服審査法に基づき国土交通省に「審査請求」と「執行停止」を申し立てたことは、不当で、法の精神にもとるとして抗議、審査請求を却下するよう求めたもの。

行政不服審査法は、本来、国や県、市町村などの行政が行う行為に対して、(弱い立場の)私人が不利益を受けた場合に救済を求めて訴えるもので、そもそも沖縄防衛局は私人ではないし、国の機関である沖縄防衛局が、同じ国の機関である国土交通省に審査を求めるなんて、公平な審査ができるわけがない。

国は、翁長前知事が行った「承認取り消し」についても同じ手法を用いて、「取り消し」を無効にし、辺野古の工事を違法に進めた。この行為は「自作自演」とか「右手が左手に救済を求める茶番劇」などと、各界から強い批判を受けた。にも拘わらず、臆面もなくまた同じ手法を使うという暴挙であり、県知事選挙、豊見城市長選挙、那覇市長選挙が示した圧倒的な「辺野古NO」の民意無視を許してはならない。

オール沖縄会議では来週30日には、沖縄防衛局へも抗議行動を行う。

<集会アピール全文>

 

2018年10月26日リンクURL

闘いはこれからだ!~ 今日(10月23日)の辺野古

 今日那覇発の辺野古行きバスはうれしいハプニングでいつもより30分遅れての出発となった。

 9時那覇発の辺野古バスは予約不要、そのため予想より人数が大幅に増えてしまい、あぶれた人たちの車の手配で遅れてしまったのだ。結局、中型バスと10名乗りのジャンボタクシー2台、計3台での辺野古行きとなった。

 11時過ぎ、辺野古へ着くと、集会はゲート前の座り込みからテントの下に移動して行われていた。現在工事が止まっているため、ここしばらくゲート前行動の参加者が減っていたが、今日は100人近くが集い、去る21日(日)に行われた那覇市長選勝利の喜びで盛り上がった。

 まずは、現場責任者の山城博治さんが、「知事選から続く3つの選挙はまさに沖縄対国の戦いだった。すべてに勝って沖縄の意地を見せたが、また闘いの場が現場に戻る。辺野古へ、そして土砂の積出港である本部に結集しよう!本当の戦いはこれからだ!」と博治節で激を飛ばした。

 毎週水・木曜の集中行動日に救急班として全国から来てくださる皆さん(医師や看護師の資格を持つ)が紹介された。

 京都から沖縄は初めてという看護師さん(女性)は「ニュースでは知っていたが、実際に沖縄に来てみて、いかに沖縄の皆さんに多くの負担をかけ、苦しみを与えているか、実感した」と、涙を流し「これからどうすれば全国の人たちが、沖縄の状況に関心を持ち、連帯できるか、自分にできることを取り組みたい」と声を詰まらせながら語った。

 今年度の沖縄平和賞を受賞(昨日那覇で授賞式が行われた)した国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の今井高樹さんが辺野古を訪れた。「JVCは、世界の紛争地で人道支援を行っているボランティア団体。今年度はとくに北朝鮮の高校生と日本の高校生の交流に力を入れている。日本では、北朝鮮の脅威が喧伝され、軍備増強の口実にされているが、北朝鮮は米軍基地に対して警戒をしているのであって、日本に対して危害を加える意図はみじんもない。この活動を通して、日本での北朝鮮に対する情報がいかに偏っているかを、若い人たちに実感してもらっている。これまで沖縄とのつながりは薄かったが、受賞をきっかけにしてJVCとして沖縄で出来ることは何か、模索していきたい」と決意を述べた。

 

 

 

 

 

 

 

名古屋からは歌声サークルの皆さんが14名で参加、辺野古をテーマに作曲された歌を披露した。

また、全国各地で歌を通して辺野古を伝える活動をしているシンガーソングライターの山口まゆみさんも力強い歌声で沖縄を歌い上げ、座り込み参加者を励ました。

最後にみんなで、がんばろう!の声を上げ、正午過ぎ集会を締めくくった。

これまで知事選と那覇市長選の選挙活動のため、ゲート前行動は正午で切り上げていたが、来週からは午後2時まで延長される。

<今後の行動日程>

 (1)10.26緊急抗議集会(仮称)の開催。
   と き:10/26(金)12:15~13:00
   ところ:県民広場

 (2)10.30沖縄防衛局抗議集会(仮称)
    と き:10/30(火)14:00~
    ところ:嘉手納町ロータリー広場

 (3)第13回県民大行動
   と き:11/3(土)11:00~12:00
   ところ:辺野古ゲート前テント
※「平和市民連絡会」として那覇・県民広場から大型バスを8:00に出します。    事前に長嶺(090-2712-6486)か城間(080-1782-6598)まで申し込んでください。

 

2018年10月24日リンクURL

Jeju(済州) 4・3の真実と正義を問う ~ 済州島の旅②

4・3のシンボル椿の花。この季節済州島の野山を彩る。

「 4・3の真実と正義問う」と題する国際会議に参加するため10月3日~8日済州島に行ってきました。ちょっと間が開いてしまいましたが、その報告②です。辺野古の状況もお伝えしながら飛び飛びになりますが数回に分けてお伝えします。

<済州島4・3事件を知っていますか?>

<遺族会によって毎年行われてきた4・3犠牲者の慰霊祭、2014年、初めて国の主催で開催されたが、朴 槿恵(パク・クネ)大統領(当時)は出席しなかった。前日になってのドタキャンに遺族会は怒った。2014年撮影

朝鮮半島の南の洋上に浮かぶ済州島は、韓国本土とは異なる歴史と文化を持つ小さな島。日本の中の沖縄のような島である。

1945年8月15日、敗戦によって日本の植民地支配から解放されたと喜んだのもつかの間、第二次世界大戦の終了とともに、朝鮮半島は南北に分断され、北半分をソ連に、南半分をアメリカの支配下に置かれる。

日本の植民地時代、朝鮮半島の中でも抗日運動の最も激しかった済州島は、人々の人権意識が高く、南北分断に対する島を挙げての抵抗運動が起こった。

4・3事件のきっかけは、1947年3月1日、分断を固定化する南単独の国政選挙に反対して集まったデモの警備に当たっていた警察官の馬に蹴飛ばされて、一人の小学生が死亡。これに怒って抗議した民衆に、警察が発砲して多数の負傷者が出た。

この事件が起点となってゼネスト、責任者の逮捕、拷問、赤狩りと事態はエスカレート、翌年1948年4月3日、たまりかけて民衆が武装蜂起する。以後7年7か月にわたって国家権力による熾烈な民衆弾圧の嵐が吹き荒れた。村ごと焼かれたり、小学校の庭に集められて女性、子ども、老人を含む住民が銃殺されるなど、3万人余が犠牲になるという残酷な大量虐殺事件である。

<遺骨発掘の現場写真:4・3資料館ノムヒョン展示より>

南北分断と米軍支配が続く中で、生き残った人々は沈黙を強いられ4・3の真相は闇の中に押し込まれた。2003年10月、やっと韓国政府は国家としての責任を認め、盧 武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、遺族と済州島民に対し公式に謝罪し、真相究明を約束した

同じ国民同士の間で、なぜこのような悲惨な事件が起こったのか?その根底に、韓国本土とは違う済州島の歴史、文化、気候風土に対する差別意識があった。そして、その背後に大国アメリカの強大な軍事支配があった。日本の中の沖縄に符合する。韓国を日本、済州島を沖縄と言葉を置き換えても違和感がないほど酷似している。

虐殺された母親の母乳に吸いつく赤子:4・3資料館展示より>

今回の国際会議は、今年が4・3事件から70周年に当たり、国家プロジェクトとして真相究明に当たってきた4・3研究所など50余りの関連の団体が主催して開催したもので、4・3と同じような経験を持つカンボジア、インドネシア、ギリシャ、台湾、沖縄からの報告を通して、4・3の真実を明らかにし、後世に伝えようという趣旨で行われた。

 

2018年10月23日リンクURL